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私と千利○は、旧友で、私は彼の事を千ちゃん(煎茶)と呼んでいた。
出会いは戦国初期、私が友達の信長の家(後の本能寺)に遊びに行った際に知り合った。
当時、織田家に仕えていた千利休は武士に成るか、茶道を極めるか悩んでいて、私はよくその相談に乗っていた。
そんなあるとき私にある明案が浮かんだのだ。
千「私、利○はこれからどうしたらよいとお思いですか?」
私「茶道と武士道、両方極めればよいのでは?だって千ちゃん中高と野球部でしょ?」
この私の一言があれ以降の歴史を大きく帰るとは…
利○はその後、名を改め、明智光秀と名乗る。
織田家からは千利休という者が消え明智光秀という家臣が増えた。
この真実を知るものは信長と私しかいない。
その後、信長との些細な言い争いから発展した本能寺の変が起きた。
この本能寺の変についてはまた後ほど違う章で話そう。
この当時、私は羽柴秀吉(後の猿)と共に島津狩りに行っていた。
本能寺の一報を受け、帰省そして山崎の地にて明智を討ったのが、この猿である。
だが、明智光秀は生きていた。渋○に違法整形外科に行き顔を変え、再び我等の前に姿を現した。彼はこう名乗った。
「私ハ千利○ト申シマス。」
ここから利○による豊富への恐ろしい復習が始まる。
豊富が二代で滅んだ原因はこれにあると言ってもいい。
まずは自分を討ち取り、天下までもを奪取した猿への陰湿かつ嫌悪な嫌がらせの数々。
初めは秀吉が天下統一を果たす前。
利○は秀吉を自分の茶室に呼出しだ。
利○は、そこで庭の雨水からたてた茶を出し。
時には、茶すら立てず、ティーパックのお茶を出すこともしばしば会ったという。
以下は当時の秀吉の日記である。
『○月×日 今日、茶室にて利○が真っ黒い茶を出してきた(笑)これは何かと私が聞くと、特殊な茶だという。そして私が文句を言うと、嫌なら飲むなコノ!イエローモンキーガ!と凄い剣幕で言われた(泣)私にはもう何が何だかわからない一般常識の通じない世界では人はこれ程無力なものなのか、私は実感した。明日は小田原城を落とす日だ。頑張ろう』
これは、後に有名になる珈琲豆混入事件の当日に書かれた日記である。
しかしこの日に使用された物は実際、コーヒー豆ではなく、インスタントコーヒーである。
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