発病

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弟の病気を認識したのは母から知らされてからだが、それがいつだったかは定かでない。逆算するとちょうどオレが帰郷する直前くらいだったと思う。 後で知った事だが、発病直後に弟は自分の症状も、その対処法も分からず、両親よりも前に身近な1人の親しい知人に相談していた。それが後に、最期まで弟を支えてくれ、オレら家族の恩人でもあり、もし弟が生きていたら「嫁さん」になってくれたであろう『Yサン』だ。 いつだったか、メールで弟に将来(婚期)について叱咤された事があった。きっとアイツが「躁」の状態の時だったのかも知れない。オレはその後、全くアイツと連絡をとらなくなり気分悪いからと、アイツから来たメール履歴も全部消去した。 正直オレは最初、病名を聞かされた時、もちろん名前は知ってたが、その症状があまりピンとこなかった。また、すぐに治るものだとも思っていた。だってあの弟なんだから…。 しかし、弟と入れ違いで実家に帰省した際、2Fに弟が置いていった大学ノートがあり、恐る恐る開いて見た時、余りにもショックだったのを覚えている。 「これが弟の字⁉ウソだろ⁉何?この内容は…」 余りにも弱々しく、当事者でなければ理解出来ない苦しみが、たどたどしく記されていた。本当にショックだった。これが「あの弟」が書いたものなのか…? 親にも、恐くて弟の様子を聞けなかった。ただ悲しかった。弟に会うのも恐くなった。想像出来なかったし、認めたくなかった。 本当にオレは、救いようのない他力本願な発言だが、「アイツの事だから、きっと克服する!」と思い込んだ。だから病気の知識もろくに知ろうとしなかった。 今思えば「なんでもっとアイツの力になってあげられなかったのだろう。」と後悔しかない。 オレは本当に器量の小さい独りよがりな「バカ兄貴」だ。
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