お台場奪還作戦。帝国軍襲撃

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自衛軍の始まりは2024年に起きた中国軍特殊部隊による尖閣諸島占領事件により、当時の自衛隊を軍備拡張を行うことを決定した。当時は平和ボケをしていた日本国民が反対していたことで決定が難しかったが、政府は強行採決をした。 これにより、2025年から軍備拡張が行われ、憲法9条を改正なども徹底的に行われた。もちろん強行採決で決定した。これにより、自衛隊は自衛軍となった。 自衛軍の軍備拡張に反対する左翼団体や、民連(在日朝鮮人連盟)などがデモを行うが、その内容は激しく、出動した機動隊をケガさせるほどだった。 これと同時に犯罪率が上がり、デモ隊に関しては自衛官の家に石や火炎瓶などを投げ込むというところまで発展した。 堪忍袋の尾が切れた日本政府は再編成した自衛軍の治安出動を決定した。また、機動隊には銃器の携行を義務付けるなどをした。 自衛軍が介入したことにより、デモ隊は半分暴徒と化し、銃器などで武装し、自衛軍などを攻撃する事態に陥る。戦後最悪のことでもあった。 政府は自衛軍に発砲された際の反撃、つまり交戦権を全面的に許可した。機動隊も同様だった。 これにより、デモ隊は完全に暴徒扱いとなり、ほとんどは自衛軍及び機動隊に射殺、検挙された。射殺した暴徒の数は50人を超えた。 この事件以降、日本政府は犯罪に関する徹底的な取り締まりの強化のために、戦前の内務省を復活させた。内務省の復活と同時に、憲兵として警務隊を発足させ、治安の強化を図った。 この政策の効果は抜群で犯罪率などは著しく低下し、国際的な信用の回復に成功した。 自衛軍も世界から軍隊として認められ、交戦権を持つことができるようになった。
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