お台場奪還作戦。帝国軍襲撃

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スターリングラード攻防戦。 第二次世界大戦でも有名な戦いで、ナチス・ドイツ軍が当時のロシア、ソ連のスターリングラードに侵攻した戦いである。 スターリングラード攻防戦はソ連軍が苦戦しながらも勝利した。 第二次スターリングラード攻防戦は自衛軍とロシア軍との戦闘で行われた。ロシア軍はスペツナズと大量のロシア兵を配備し、首都モスクワへの侵攻を食い止めようとしていた。 しかし、自衛軍がスターリングラードに到着する前にロシア軍にとって悲劇が起きた。 奪還した北方領土から発射された新兵器、EMP弾頭によりスターリングラードに配備された戦車、装甲車など全てのシステムが無力化され、ロシア軍は歩兵と経験、銃火器だけで戦わなければならなかった。 EMPは電磁パルスの略で、ガンマ線などの特殊な電磁波で、パソコンや車などに使われる電子機器を無力化させる。 その効果は電子機器を使用したものには致命的、完全に使うことができなくなる。ロシア軍は物量で攻撃をするため、全ての電子機器にEMP対策を施していなかった。 これは核弾頭にも含まれている電磁波で、自衛軍は強力な電磁波を照射する弾頭の開発に力を入れた。発射されたEMP搭載弾頭は5発、ロシアにおける軍事拠点などは大ダメージを受けた。 最終防衛拠点であるスターリングラードの電子機器は文字通り全て死んだ。 自衛軍はシステムの復旧を終える前にスターリングラードを機甲歩兵を投入するなどで総攻撃をかけ、ロシア軍と壮絶な戦闘を繰り広げた。 ロシア軍は人海戦術などで応戦するが、戦車や攻撃ヘリなどの支援を一切受けることができず、全滅した。 乾はこのスターリングラード攻防戦に参加していた。 結果、スターリングラード攻防戦は自衛軍の勝利で終わった。しかしそれだけでは終わらなかった。 ロシア軍の核ミサイルを無力化するために、自衛軍は特殊戦略連隊を送り込み、ロシアの核ミサイル施設を無力化したのだ。 この時は一箇所だけで済んだ。なぜなら、自衛軍のEMP攻撃でほとんどの核兵器施設は使えなくなったからだ。 最終手段をなくしたロシアは日本に降伏、第二次日露戦争は日本の勝利で幕を閉じることになった。
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