シャイロックのいた風景

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みんなみんな昔ながらの彼であって、 その日その日の風の工合いで少しばかり色あいが変って見えるだけのことだ。 おい。見給え。青扇の御散歩である。あの紙凧のあがっている空地だ。 横縞のどてらを着て、ゆっくりゆっくり歩いている。 なぜ、君はそうとめどもなく笑うのだ。 そうかい。似ているというのか。 ――よし。それなら君に聞こうよ。空を見あげたり肩をゆすったりうなだれたり木の葉をちぎりとったりしながらのろのろさまよい歩いているあの男と、それから、ここにいる僕と、ちがったところが、一点でも、あるか。 太宰治「彼は昔の彼ならず」 シャイロックがいた風景  ITバブル盛んなりし頃の渋谷。  海千山千の投資家と、それこそ海のものとも山のものともわからないビジネスモデルを引っさげて億万長者を夢見る若者たちで会場はあふれていた。  ユダヤ人シャイロックもまた米国の著名ベンチャーファンド代表として若い企業の投資プレゼンを聞くため渋谷にやってきた。めぼしい企業があればノウハウの乏しい日本のベンチャーに資金を投入しつつ、自分のシナリオで上場させ、莫大なキャピタルゲインを狙おうという目論見を胸に抱いて。  一方のビターバレーに集う若者たち。彼らは成功の聖地としてシリコンバレーを範とし、成り上がった自分の王宮として六本木ヒルズを夢見た。  シャイロックはベンチャー企業のプレゼンに先立って大物ゲストとして基調講演を行った。みなひとり残らず夢見る視線でシャイロックのプレゼンにいちいち大きく頷いた。まるでその頷き方が大きければ自分のプランがシャイロックにみとめてもらえると思っているかのようだった。  若者たちはシャイロックの基調講演を聞いた後、代表企業が数社プレゼンをし、その後カクテルパーティで談笑してる。  シャイロックが移動する度に若きCEOたちはシャイロックと名刺交換しようと群がった。  しかしシャイロックは如才なく握手をこなしながらバンケットルームのある方向を目指していた。そして目的地まで人波をかき分けて移動すると、なにやら一人の青年に話しかけ、ほどなく群衆の中からその若者の脇をとり、パーティー会場の出口へ向かったのだ。 「さっきのビジネスプランは驚異的に素晴らしい!ついてはこれから、君とだけ秘密の商談がしたい」
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