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一瞬。
ほんの、一瞬。
その双眸が悲しみに暮れたような気がしたけれど。
「………もう十分でしょう。そろそろ失礼させて頂きたい。」
立ち上がり彼女の肩に優しく手を置いた木村は、こちらを冷たく一瞥し、部屋の面々へと断りを入れ、歩き出す。
表門では心配で顔を曇らせていたお紺とお妙が、二人のもとへ慌てて駆け寄る。
言葉少なに安心させる木村の横で。
彼女はずっと無言のまま、舞い降りてくる雪を見上げていて。
寒さからか。
小さく震えたその肩を見て。
無意識に自身の藍色の羽織に手をかけ…止めた。
「密先生。」
……………沖田。
差し出されたのは、彼らしい、鮮やかな群青の羽織。
彼女は首を振り、それを断るが。
眉を寄せた沖田は、有無を言わせずそれを彼女に羽織らせる。
「あなたは今日も、明日も、明後日も医者なんでしょう? 風邪なんてひいてる暇はないはずですよ。それに…大切な小さな友人があなたとの羽根つきを楽しみにしてるんじゃないんですか?」
優しく、言い聞かせるように言う沖田。
「ご自分のためだけではなく、周りの人のために、ご自身を大事にしてあげてください。ね、密先生?」
沖田をじっと見つめ、ようやく小さく頷いた彼女に。
沖田はこれ以上ないほど慈愛に溢れた笑みを浮かべた。
愛しい。
心から愛しいと思った。
共に生きることなんて最初から無理だってわかってた。
できるだけ優しく彼女の前から消えて。
彼女がどこかで明るく強く生きていてくれさえすればそれでも良かったのに。
こんなにも。
こんなにも傷付けたかった訳じゃない。
彼女が負った心の傷は。
その跡を残して、いつまでも彼女に鈍い痛みを与え続けるだろう。
御匙殿、加賀屋徳右衛門が揃い、一堂が帰路に着く。
木村に背負われた群青の細い背中を、ただひたすらに見つめた。
一度も振り向かない、愛しい人。
「…山崎、事後処理だ。行くぞ。」
粉雪が舞う中で小さくなる後ろ姿から。
強く背を向け、土方に従った。
この想いを。
痛みさえも捨てて。
心を空にし再び闇へと溶ける自分は。
………二度と彼女と交わることはないだろう。
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