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藤堂高猷といえば伊勢国津藩の藩主である。
父が藩主であるならば、通常は一国の殿として津藩を治めているはず……。
そのような高貴な血が流れていながら、なぜ捨て子として剣術道場の雑用を任されているのか?
それは、ただの藩主の息子ではなかったからだ。
平助の父は藤堂高猷であるが、母は駒込の花屋の娘であった。
つまりは、津藩の殿である藤堂高猷の落胤であるというのだ。
落胤とは隠し子のことをさし、表立って公表のできない赤子だったので捨てられたのだ。
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