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川面に夕焼けが映り、もうすぐ暮れようとしている。
葦原の向こうは大きな湖がそびえ、涼しい風を送っていた。
山は既に漆黒の衣をまとい、ずんぐりとたたずむ。
「間違いだ」
「へ?」
「あの小父さん、今まで間違った祝詞を唱えていたらしい」
佐貴良が声をたてて笑う。
それが馬の倉に何重にも響き合って、棗に返ってきた。
我にかえってみると、自分の手は感心するほどせっせと馬具の泥を落としていた。
冷たい川の水が冷気を放っている。
手首までどっぽりと川に入れた棗の腕はひんやりしてきている。
「知らないか」
「ううん。知ってる。だって、あの口うるさい小父さんが神官様に怒られたんだよな」
佐貴良の苛立った声に尻をけられて、棗は飛び跳ねるようにうつつに帰ってきた。
転がるように会話をすると、そんな自分が滑稽に思えた。
しかも、あの小父さんの事件まで思い出した。
「あれは、傑作だったなぁ」
見知った嫌味な顔がしゅんと垂れて神官の後を追っていく姿が目に浮かんだ。
棗はいくらなんでも、小父さんが可哀そうだったし、耐えていたのだが、佐貴良にこうもあっさり笑われると、止まらなくなった。
「なんで間違えて覚えたんだろうね」
「まあ、日頃厭味ばかり言ってるから罰があたったんだろう。
……おい、まだ馬具が洗えてないじゃないか」
倉で馬を洗い終わった佐貴良は、川端で笑いが止まらなくなった棗の傍らまで歩み寄った。
そして、なんとはなしに棗の傍らに座り込む。
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