近江【香り】

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月はもう二人の頭上高くに上っていた。 こんなに遅くなるなんて思ってもいなかったので、自然と足取りが速くなる。 「月がきれいだ」 しばらくして、足だけを急がせていた二人の沈黙を棗が破った。 高台になっている川沿いで棗は足を止め川面に映る月を眺めた。 「帰らないのか。こんなに遅くなったら、棗の母さんが心配する」 「大丈夫だよ。俺はもう心配される歳じゃないし」 そういうと棗は川の斜面に腰をおろした。 夜露のついた草がお尻にひんやりする。 それを見て、呆れたように佐貴良も隣に腰を下ろす。 「ほんとにお前は、自由奔放だな。俺より樂人の子だよ」 「じゃあ、佐貴良は俺より厩守の子だ。腕がいいもの」 「お世辞は結構だ」 川のせせらぎは優しく、月は白く光って昼のようだ。 「ところで、明日の祭りは誰を誘うんだ?」 「へ?」 祭では、好意を持つ男女が誘い合うという暗黙のしきたりがある。 「棗は決めてないのか?」 「うーん。決まってないというかなんというか。佐貴良は?」 「うーん。俺も決まってない。」 「決まってないって言ったって、佐貴良はいくらでも候補がいるだろう」 佐貴良は、その涼しげな瞳とこの土地にはないような気品で村娘に人気がある。 だから、明日の祭りにだって佐貴良が声をかければ、誘い合いにのってくれる子はいくらでもいるだろう。 「いない。馬の世話でそれどころじゃないよ」 棗はというと、村の娘たちに弟扱いされている。 つまり、二人とも祭りの賑やかさの裏で誘い合いをする子など思い当らなかったのだ。 「なんだか、こんなこと言ってると、祭りからはみ出した気分になるな」 冷たい草に転がって、棗はため息混りにつぶやいた。 鼻先に月の光がともって見える。 「はみ出しはしないよ。俺らは、祭り馬を整えたんだから」 「まあ、そうなんだけど」 座っている佐貴良は背筋がピンとして、とても田舎者にみえない。 言いながら棗は草に寝転がり、佐貴良を仰いだ。
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