ダム、廃村、思い出

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 逃げ出したことでも、いつかはそれと向かい合わなければならない。  小学校の先生だったか中学校の先生だったか、それともドラマの台詞だったか小説の一文だったのか、つまりは出所不明の言葉がふと浮かぶ。そもそも人の記憶なんていい加減なものなので、この言葉自体僕が作ったものなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。どっちでもいいことだった。  大人になればそれがわかるという補足もあった気がするが、それは間違いだろう。大人子供関係なく、逃げ出したことには向かい合わなければならないし、向き合っている。すべからく大人が子供に向けた言葉というものは結果論で、幼少期の葛藤や苦悩が抜けてしまっている。頑張れるときに頑張っておかないととか、今しか出来ないことをやれとか、じゃあ大人のお前らはできてたのかよと言いたい。  現にこうして僕は逃げ出したことに向き合っている。ただ真っ正面ではないという問題があるけれども。  まだ階段を降りきってはいないというのに靴下までグッショリだ。歩くたびにグロテスクな音で僕を陰鬱な気持ちにさせる。  湿度が壁を作っているみたいだ。質量を持ったように肌を撫でていく。そうやって鳥肌のように不快が泡立つ。  途中何度かもう帰ろうと足が止まるが、心に決めたことだと進む。頭まで痛み出した。あーぁーもー散々だー。 「僕がわあぁるかったんだけどなあああぁぁぁぁぁ!!」  空を仰いで、割けんばかりに喉を鳴らしたけど、解決したのは苛立ちだけだ。くそ。
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