②

16/28
前へ
/157ページ
次へ
  『葉ちゃん、俺がアイツの相手するからその間に逃げて』  香月は黒豹に視線を定めたまま、いつもの優しげな声で葉に言った。  しかし、幼い葉でも、声色とは相反して香月の周囲を取り巻く空気がピリピリしていること、黒豹への恐怖を隠しきれていないことがわかった。 『やっ、かーくんもいっしょに逃げれば、』 『無理だ。父さんたちならともかく、俺の足じゃ黒豹の足から逃げることなんて出来ない』 『でもっ』 『ヤツラの狙いは俺のはず……お願いだから、ね』  いい子だから、と葉の頭を撫でた香月は、そのままスッと一房、葉の髪をすくいとった。 『綺麗だよね、本当に……どうかこの美しい髪に赤い飛沫がかかりませんように』 『かーくん、』 『この大木の裏に道があるから、そこをまっすぐ走り抜けて……俺も、後から行くから』  少し考えれば、逃げることすら出来ない相手を倒すことなんて限りなく不可能に近いことだと、わかるはずだった。  だが香月は、今まで葉と結んだ約束を、破ったことなどなかった。 『……わかった、ぜったいね』 『うん、絶対』  だから葉は、香月がついた“初めての嘘”を信じ、葉は香月をその場に残し、香月の指示通り大木の裏に向かって走り去った。  黒豹は葉に一瞥をむけたものの、あとを追う素振りはみせない。 『……もうよいか、少年』  黒豹が、前足を動かした。  香月はすぐさま、再び獣化を行い、身を虎の姿へと変える。  威風堂々とした風格の年輩者と、まだ青々しい若者。  体格はほぼ同じくらいだが、構えの姿勢、余裕とした態度、身に纏う空気の圧力……どちらが狩られる側かは、一目瞭然だった。 『……覚悟は出来ております』 『……』 『ただ、少しだけ抵抗させていただきますよ』 『少年のような者を殺すのは惜しい……が、姫様の命なのでな』  葉は、後に思う。  大木の前で交わされた会話を聞いていれば、香月との死を選んだのに、と。
/157ページ

最初のコメントを投稿しよう!

170人が本棚に入れています
本棚に追加