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父が車を出した頃には、もう陽が落ちかけていた。
辺りは淡い紫と濃いオレンジの空が広がっている。
助手席の窓からその景色を眺めていると、段々とその風景はビルなどの建物によって見えなくなってしまう。
変わりに目に飛び込むのは繁華街のネオンで、人通りも多くなってきていた。
父はカーステレオの時計と自分の腕時計を信号待ちの度にチラチラ確認しては落ち着きの無い状態を保っている。
「父さん、慌てると事故の元だからね。気をつけてよ」
そう注意するが、ハンドルを握る手の人差し指を曲げ、忙しなくハンドルを突く様にトントンと音を発てている。
やがて車は、頭上遥か上を見上げないとそのテッペンが見えないくらい高く、大きなホテルへと近付いていく。
「父さんもしかして…グランドホテルなの?」
僕の戸惑いに、父親の首が縦に振られる。
そこはこの辺りじゃ一番有名で一番大きな高級ホテルだった。
何でまた、こんなトコに行こうと思ったのだろう…
自分の精一杯の正装は、この場所には全く不釣り合いなモノだった。
せめて制服にしとけば良かった…
僕の後悔など関係無しに、車はホテルの地下駐車場に入って行く。
駐車場に車を停め、ホテルのエレベーターに乗った後も僕達親子は緊張の為か言葉を発する事を忘れていた。
無言のまま見たこともない様なエレベーターの階数が上がって行くのを呆然と見上げている。
そして、チンッと言う音の後、ゆっくりとその扉は開いた。
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