第五章 時代の流れ

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     一  GHQ支配の元で、憲法改正の他に、学生改革で現在の小学校六年、中学校三年の義務教育と、高校三年、大学四年と、現在の姿がおおよそ確立された。  新聞やラジオに対しては、アメリカやGHQに不利な情報は控えるようにとの指示がされ、検閲もされた。  結果、戦時中の空襲の被害や原爆について書かれることもなかったのだが、それでも国民の大多数はGHQの支配について好意的に受け取り、マッカーサーに対しても多くの意見や感謝の手紙が届けられたと記録されている。  アメリカ兵が食糧難の子供に対してガムやチョコレートを配ることが奨励された。 「ギブミー、チョコレート」と片言の慣れない英語を子供が話し、一人のアメリカ兵の周りに子供達が群がるという光景は珍しいものではなかった。  それにより、寛大なアメリカ兵という印象を国民に与えることに成功したと言える。  他にラジオで英語の講座を設けたり、アメリカ映画を映画館で流したりした。  特にアメリカの映画は、娯楽の少なかった日本国民にとっては、若者を中心として憧れの的となった。  昭和二十六年九月八日、サンフランシスコ講和条約が調印され、日本が戦後正式に国として認められるとともに、GHQも撤退することとなった。
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