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「たとえ少数派でも勉強している人がいたんなら、お前は怠けていたってことになるんじゃないか?」
「はいはい、怠けておりました」と、溜め息でも吐くかのような口調で、不本意ながらも折れることにした。
勉強しなかった理由として虚弱体質だったこともあるのだが、口論を続けても最終的に言い負かされるのはいつものことだったからだ。
「何が、はいはいだ! この先、子供ができたら、その子供がどんな子供になるのかは、子供を教育するお前にかかってるんだぞ」
芳子は「子供」という言葉が繰り返されるごとに、頬を手の平で叩かれているような気分になり、結婚して初めて、潤一郎をキッと睨みつけながら大声で怒鳴った。
「そんなに子供、子供って言わないでよ!」
芳子の記憶が確かならば、生まれて初めて出すような大きな声だった。そのために自分の鼓膜が痛くなるほどで、同時に大きな耳鳴りが始まった。
潤一郎は息を止めたかのように凍りつき、ハッと我に返ったかと思うと、「ごっ、ごめん、言い過ぎたようだね」と怯えるように頭をこくりと下げて謝った。
その後少しして、やや乱暴に襖が開けられた。姑(しゅうとめ)の都子(みやこ)が入ってきた。いつもの地味な色の和服姿だった。
「どうしたの? 大きな声が聞こえたようだけど」
様子は狼狽しているようだったが、芳子には芝居染みて見えた。
「別に何でもないんだよ。お母さん」と潤一郎は、面倒臭そうに顔を顰めて言った。
「でも、今まで聞いたこともないような女の人の、それも隣近所まで響いてしまうぐらいの、とっても、とっても大きな声が聞こえましたけど……。もしかしたら私の空耳だったのかしら?」
姑のゆっくりと語られる白々しい言葉に、芳子はさらに苛立ち、食事の後片付けも途中でやめ、それでも襖は指を小刻みに震わせながらも静かに閉めて、無言で寝室の方へと入った。
芳子は部屋に入ると、すぐに押入れから出した蒲団を引いて、中へ潜り込んで体を屈めた。
そのことで、自分を取り巻く環境と自分自身とを隔離したかった。この家の空気を吸うのも嫌という、それほどの嫌悪感だった。
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