とあるお医者さんのお話

3/11
前へ
/11ページ
次へ
特に今日の雪はまた酷い。ここ数日、大雪の日が続いているのだ。 人々が外に出ない理由も解る。 しかし、降り積もる雪を払う事なく、男はただゆっくりと歩を進めた。 大通りを抜け、小さな路地をいくつか抜ける。街の外れにたどり着くと、人気のある建物はなくなった。だがそこに、知る人ぞ知る、小さな診療所が在った。 ようやく目的の場所を目にした男は、ローブのフードをとり、白い息を吐いた。 近付くと、扉はきぃと音をたてて開き、中から一人の女が姿を見せた。だが彼と目が合うと小さく頭を下げ、女はゆっくりと背中を向けた。 彼女の腕には、具合の悪そうな幼子が抱かれている。 患者か… だが今は治療の後なのだろう。子供は落ち着いた様子で静かな寝息を立てていた。 路地裏に消えるその姿をそっと見送りながら、男はもう一度息を吐いた。 そして扉に向き直り、ドアノブに手をかける。身体に積もった雪を軽く払い、中に入ると同時にローブをバサリと脱いだ。 室内は、ほっとする程に暖かい。 アンティークに飾られたエントランスは見た目よりも広く、落ち着いた洋館を思わせる。 静かな空間で軽く辺りを見回し、誰もいない事を確認すると、男は廊下をゆっくりと進んだ。 用があるのは、この診療所の主。 何度か足を運んだ事のある場所だ、相手の部屋がどこにあるか位は解る。ましてや、先程から数人の患者達とすれ違っては会釈を交わしているのだ。医者である以上、患者が居れば必ずそこに居るだろう。 すれ違う人々は皆礼儀正しいが、具合の悪さが目に見えて解る。 診療所が人で賑わうなど、喜ばしい事ではないのだが… 男は複雑な面持ちで部屋の前に立った。『診察室』と札の下げられたその扉の前で、一呼吸おく。 中からは僅かに声が聞こえる。まだ、患者がいるらしい。 幸い、次に待つ患者の姿は見当たらない。 傍らに用意されたソファに腰掛け、扉が開くのを待つ事数分。 「先生、有り難うございました」 そう言って中から顔を出したのは小柄な老婆だった。杖をつき、覚束無い足取りでそろそろと姿を見せたその人に 「…大丈夫ですか?」 男はすかさず手を貸した。だが老婆はその手をとらず、低い姿勢のまま 「ご親切にどうも。お気遣いなく」 そうやって頭を下げ、穏やかに笑った。 顔色は良さそうだ。特に目立った外傷などもない。彼女の言う通り、助けはいらなかったのかもしれない。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加