動き始めた歯車

17/19
47人が本棚に入れています
本棚に追加
/196ページ
終業時間を告げるメロディーが鳴る うちの会社がCMで使っている音楽だ 私達は主に一般の戸建て住宅を担当しているので常にファミリーの温かなイメージを持つよう指示されている それは服装や社内での持ち物、時として私生活にまで及ぶ だから 不倫などは許されないのだ 自分のデスクには家族の写真を飾る事も義務付けられている 蓮のデスクにも ロバに乗せられ半泣きの女の子と若い母が嬉しそうに笑って写る写真が埃をかぶって置かれている 父がどこかで撮ったものだ 親子三人の写真を飾るのは抵抗がある 母との写真も嫌だったけれど 事故で亡くした母の写真をこうして置いておくだけで周りからは 同情という甘いお菓子が貰える そんなモノは 蓮にとってクソくらえだったが生きて行くためにはそれも必要なのだ なんの駆け引きもなく、無条件に抱きしめてくれる そんなモノをいつも探している ふと、アムステルダムで出逢った彼の事を思い出した 初めて会ったのに 「逢いたかった」 彼はそう言って甘い香りと一緒に抱きしめた 夢のような出来事だった 運河も風車も思い出したくない けれど 彼の存在が別の意味でアムステルダムの運河やカナルハウスを忘れられない物に変えていた 彼となら 奏とならキンデルダイクの風車群を見に行けるかもしれない また 逢えるだろうか…… その時、デスクの電話が鳴る 甘いミルクティーに浸っているような気分をぶち壊さた 蓮は思わず舌打ちをした ディスプレイに出た内線電話の番号に見覚えがない 誰だろう? ちょっと身構える 「はい、早川です」 「出来た」 「は?」 「図面出来た」 まさかとは思ったが、ゆっくりと後ろを振り返る 黒田がこちらを見ながら図面をピラピラさせている 「わざわざ電話かける距離じゃないでしょ」 「奢ってよ」 「はぁ?」 「奢ってくれたら出来上がったの見せてやる」 そう言っていまいましく笑った
/196ページ

最初のコメントを投稿しよう!