おぼえていますか?

7/17

47人が本棚に入れています
本棚に追加
/196ページ
その青年は 橋の向こう側を指差しながら何かを言ったが車や自転車の音にかき消され聞き取れない 「え?」 蓮は思わず聞き返すと 『あっち……』 彼は口をパクパクせて橋を渡ろうとゼスチャーした 「向こう側に渡るの?」 うんうん と彼は頷いて脇に止めてあった自転車を押して歩き出した チラリと蓮を振り返って微かに微笑んで また 歩き出す この人、喋れないの? 彼の声が聞こえなかったのではなく 彼は声を出していなかったようだ スラリと背が高い というよりも 「ヒョロリとしている」と表現した方がいいかもしれない 長い髪に 長い手足がしなやかに伸びてバレエダンサーをイメージさせる 時々、後ろを振り返って蓮が着いてきているかを確かめ微笑む その笑顔は 笑顔とよぶには少し足りない どこか淋しげでミステリアスな印象だ どこに連れて行かれるのだろう? そういえば 彼はさっき確か喋ったはず 私に「大丈夫?」と言った 囁くように どうやらコチラの言ってる事が解るらしいので 耳が不自由というわけではなさそうだ それと、もう一つ 私を見て少し驚いた様子だったけど…… 日本人がそんなに珍しいのかしら… そうだ、名前くらい聞いてもいいわよね 「あの……」 前を歩く彼の側に追いついて お名前は? と聞こうとしたとき グゥーと蓮のお腹が周りの喧騒に負けない程の音をたてた 「あっ……!」 『ぷっ……』 彼は小さく吹き出して さっきとは違う柔らかい笑顔を見せた 「やだ……」 もうすぐ30になるような女がお腹を空かせてグーグーいわせるなんて 思わず赤面してしまう すると 彼が顔をグッと近付けて耳元でさっきと同じように囁いた 『コロッケはもう食べた?』 「コロッケ?」 彼は また、うんうんと頷いてにっこり笑うと 『行こう!』と橋の向こうを差した
/196ページ

最初のコメントを投稿しよう!

47人が本棚に入れています
本棚に追加