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季節はすっかり秋だった。春には青々とした葉を茂らせていた山は紅に彩られ、向島とこちらとの間を流れる尾道水道には幾らかの漁船の陰が見える。
そんな風景を眺めながら、僕は大きく息を吸い、吐き出す。秋の夕暮れ、海と山の匂いを一緒にしたその冷たい風が肺を満たし、少しだけ眠気に侵されていた頭を目覚めさせる。
僕は、とある神社の鳥居の前に居た。
木々に覆い隠されるようにしてひっそりと存在する、小さな小さなその神社。地元民の僕ですら名前を知らないような、すっかり廃れてしまったそんな場所。しかも山の中腹にあって、ここに来る為には気の遠くなる程長い階段を登らなくてはならないのだから、参拝者なんてのは一度も見掛けたことがない。
それでも僕は、年に数回、ここを訪れる。お参り、なんかではない。初詣は他のもっと有名な所で人込みに押し流されながら済ませるし、高校受験の時には御袖天満宮で合格祈願をしたし、だからつまり、この名前も知らない神社に来ることにそういう意味合いはなかった。
なのにここに来るのは、ただ単にこの場所が好きだから。何となく、来たいと思ってしまうから。
別に、何か物珍しい物はない。本殿と拝殿、手水舎に賽銭箱に鳥居。うんと古びたそれらがあるだけ。田舎だからちゃんと鎮守の社があるのは、都市部の人にとっては驚きかもしれない。
それにしたって、賽銭箱なんて、誰一人参拝には来ないのだから不要の長物だろう。まあ、本当にたまに、気まぐれで小銭を投げ入れたりはするんだけど。
そして今日は、そんな気まぐれな日だった。見慣れた風景に背を向けて鳥居を抜け、境内に入り、一応手水舎で手を洗って拝殿の前に行く。適当に財布から小銭を取り出して、賽銭箱に放り投げる。
からん、と如何にも中身が少なそうな音を聞いて、目を閉じてから手を合わせた。これといってお願いしたいことはないけど、形だけでも。時折訪れては好き勝手に散策させて貰っているお礼に、とでもしておけば良いだろうか。
「そんなことでお賽銭入れられたって、あんまり嬉しくないんだけどね」
不意に、僕の心情を的確に読み取ったような言葉が聞こえた。思わず目を開けて、声のした方――拝殿に目を向けた。
「大体、あれだけ節操なく見回っているんだから、それだけじゃ見物料にもならないわよ」
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