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文久2年(1862年)、江戸幕府は庄内藩(現在の山形県鶴岡市)郷士・清川八郎の建策を受け入れ、将軍徳川家茂(14代目)の上洛に際して、将軍警護の名目で浪士を募集。
翌文久3年(1863年)2月27日、集まった200名余りの浪士たちは、将軍上洛に先がけ「(壬生)浪士組」として一団を成し、中山道と言う、江戸時代の5街道の一つで、本州中部の内陸側を経由する路線を西上する。
浪士取締役には、松平上総介、鵜殿鳩翁、窪田鎮勝、山岡鉄太郎、松岡萬、中條金之助、佐々木只三郎が命じられた。
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