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パリン
薄氷を踏むような響きと共に、ぶるんと大きく、額縁は震えた。
絵の蝶と水面に映る蝶。右と左、片翅を補い合った蝶が完全体の姿で、ざああっと絵から飛び出す。
水に映るもう一頭の蝶とつがう。一頭、また一頭。蝶の数が空中と水の中に、次々と増えていく。
「きゃ、きゃああっ」
群れとなった蝶が、一つの青い固まりとなって私のいる方へ、覆いかぶさるように押し寄せてきた。
…………目を開けたとき、蝶は群れごと全て、どこかへ飛び去った後。
月明かりが照らす明るい橋の上で。蝶が抜け出しセピア色の背景のみの絵が、私の手元に残されていた。
「いらっしゃいませ。お待ちしていました」
[BARノヴェレッテ]の扉をくぐると、黒服バーテンダー姿で青年が迎えてくれた。私は先程の出来事を、どう説明したものか迷う。
「申し訳ありません。オーナーから、今日は急用で来れなくなったと連絡がありまして。お客様さえよろしければ、お持ちした絵をお預かりするようにと言付けを頼まれましたが……あの、どうされましたか。気分でも悪いのですか?」
へなへなと崩れ落ち、椅子に腰を下ろした私。不思議そうな青年に、絵を覆う布地を取り払い、蝶のいなくなった額縁を見せた。
「これは……?」
「蝶が逃げ出したんです……」
橋の上での出来事を話す。目の前で起こったにも関わらず、幻想的過ぎて自分で自分の目が信じられないような話。この青年に、信じてもらえるとは思わないが。
「それはまた……」
一言つぶやき、黙る青年。じっと私を見る。やはり信じてもらえていない。
「あなたは、僕が『今の話を信じていないに違いない』と思ってらっしゃるでしょう」
「え」
青年は、どこからともなく銀色のカードケースを取り出し、私の前に置いた。名刺入れより一回り大きいくらいのサイズ。ステンレス製なのか、ケースの表面が鏡のように磨かれている。
「覗き込んでみてください」
一体、何だろうと思いつつ、カードケースを覗き込んだ。悲鳴に近い声を漏らし驚愕する。
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