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私の前髪、まぶた、睫毛に唇。よく見れば指の先も、青く青く、深い輝きに染まっている。
蝶の鱗粉に染められたのだ。
「信じますよ。貴女のお話」
カウンターの向こうに回り何やら作業をしていた青年は、私の前に白いティーカップを置いた。
「まだ夜は冷えますから、ブランデー入りの紅茶をどうぞ。温まりますよ。お酒がお好きなのでしたら、もう少しブランデーをお入れしますけど」
私は首を振り、カップを口に運んだ。少し癖のある飲み物はノドの奥を通り過ぎると同時に、じんわりと体を温めてくれる。
「詳しい原因は分かりかねますが、蝶は多分……繁殖のシーズンを迎えたのでしょう。だから絵から抜け出したくて、たまらなかったのですよ。春ですからね」
絵の事は僕からオーナーに説明しておきますね、と付け加えて、青年は私に微笑んだ。
青年の優しげな笑みで、私の脳裏に柔らかな色の炎がポッと灯る。
何となく蝶の絵を捨てがたく思っていた理由。その昔に淡い恋心を抱いていた、高校の先輩にもらった物だったからだ。結婚して数年前に、遠くへ行ってしまった先輩。古びた思い出。
カップを持つ手に貼られた絆創膏も、光度の高いサファイアの粒を塗したように染められている。
傷が治ってもしばらくは、この絆創膏を手に貼ったままにしておこうと決め。私はもう一口、紅茶を飲んだ。
もうすぐ…………春だ。
[END]
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