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【海とステンドグラス】
仕事終わりの疲労と、波の音が気だるく私を包む。椅子に座り窓の外を眺めた。
ここは海辺の喫茶店。
古ぼけた店だが、観光地から遠くない事も手伝って、何とか生活には困らないでやっていける。
三年前までは、弟が私の隣にいた。
ふらりと外に出た弟は夜の海に飲まれ、帰ってこなかった。
一人、一人。私は一人。こんな夜は潮の音が温かく、優しく、手招きをしている。
誘われてはいけない。暗い穴に突き落とす罠なのだから。
海とは反対側の窓に目を向ける。
丘の上にそびえる白い塔。カラフルな灯りが揺れ動くのが見える。
ちらちらと瞬くステンドグラス。教会に灯された蝋燭の炎に揺らめいているのだろうか。
私は立ち上がり全てのブラインドを閉め、眠りにつく。
時たまだが、教会の神父がコーヒーを飲みに来る。首に十字架を下げた、しかめっ面な初老の男性。会話をしたことは無い。
お代を受け取り「ありがとうございました」と私が声を返すだけ。
だが、その日は違った。金を置くと
ーー店の壁を、そろそろ塗り替えた方が良いのではないか。
神父はそのような事を私に告げ
ーー教会の補修に使った白いペンキが余っているから、宜しければ貰ってくれ。
そうも告げた。
潮風に吹かれた喫茶店の外壁が剥げ落ち、不恰好な縞模様を描いている事に私は気づいていたが。神父が気に留めていたとは。
突然の好意にうろたえつつ、礼を言うと
ーーではまた明日。貴女に神のご加護を。
神父が出て行くのを見送った。
夜になると、海が私を手招いている。だが外には出ない。決して。
明日は神父と、白いペンキがやってくるのだから。
私は眠りについた。
[了]
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