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【海と賛美歌】
砂浜に敷物と軽食を広げ、自慢のコーヒーを入れた魔法瓶の蓋を外す。
空気は冷たいが海は凪いでいる。少々季節外れのピクニック。
ーー誘って頂きありがとう。
ーーいえ。お世話になっていますから。
私の店に時々来る神父を誘ってのランチ。受け取ったコーヒーを飲み、神父は満足げに息をついた。初老の神父と、ふとした事で会話をする仲になったこの頃は、静かな親交を温めている。
私の住む海辺の喫茶店。夜の窓辺で丘の上の教会は鮮やかに存在を主張し始める。
闇に見る色ガラス、それは福音。暗い所から私をすくい上げる原色の灯り。
時々こうして会話や食事をするうちに、神父の内に冷たい風が吹いている事に気づき。また私も自身の胸に空いた隙間を感じた。私たちは、孤独を愛する点で同類。だが同時に、温かいものに焦がれる点でも同類。
だから神父は毎晩、教会に灯りを灯すのだろうか?
サンドイッチを気難しげに頬張る神父を眺めて考えに耽りつつ、コーヒーを飲む。神父との沈黙の間は、むしろ心地よい。
波打ち際で二人の娘が裸足でかけっこをしている。
ーー元気ですね。
私たちは顔を見合わせ微笑む。娘がスイッチをひねりラジオから小夜曲、舞曲、クラシックの曲が波に混じり聞こえて、眠気を誘う。二人の娘は昼寝を始め、寒くないのか……と私は心配になった。
ーー主よ、命の言葉を与えたまえ我が身に
神父が。ラジオの賛美歌に合わせて歌う。
ーー我は求む、ひたすら主より賜うみかてを
視線に神父は照れたように
ーー失敬、行きましょうか。
立ち上がり促す。風に敷物がはためいた。
ーー我は求む、ひたすらーー
寝床にて、波に混じる歌声が甦った。神父が求めるもの……そして私の求めるもの。
また神父を食事に誘おうと考えて目を瞑った。
[了]
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