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【海と聖夜】
ーーハレルヤ、ハレルヤ
丘を登りきると聞こえる歌。靴底に、しゃらしゃらと霜の感覚。
潮風が坂の下から私の耳を切り、全身を押し上げ。教会へと急がせた。
ーー月影さやかに御空に輝く ハレルヤ、ハレルヤ
イヴの教会は荘厳な空気に満ち満ちて。子供達の歌う賛美歌が、聴衆の心を洗う。
ーー来ていたのですか。
いつでも渋い酒を含んでいるような神父の口元が、私を発見してふっと緩む。初老の神父は私の喫茶店の常連で、友達だ。
頷いて、ステンドグラスを間近に見上げる。
ミサが終り人々は去り、がらんとした教会。色ガラスを照らす蝋燭の炎が燃えて、赤々しく空気を揺らめかせる。
ーークリスマスオーナメントをどうぞ。
神父が銀のメダルを手の平に乗せてくれた。中央に緑石の粒が光っている。
ーーこれも。
黒い石付きのメダルが重ねられる。何故二つも、と訝しげな私に
ーー弟さんへ。
神父は静かに十字を切った。見送ろうとするのを断り、私は教会を出た。
丘を下り海岸に出る。
心が騒ぐ。黒い海は、私を手招いて呼んでいる。鼓動する波が足首を強く掴む。
弟は今日のような寒い日、海に飲まれて帰ってこなかった。
ーーバカな真似はお止しなさい!
潮風を切り裂く声。手から一つ落ちたオーナメントを波がさらう。
神父が手を引き海から引き離して、住まいである喫茶店まで、引きずるように私を歩かせた。
無言のまま、店でコーヒーを沸かし神父と飲む。壁時計が、カチンと時の針を鳴らした。
ーーもう大丈夫ですね?
ーーはい。
ーーでは、また。メリークリスマス。
力強い聖職者の後姿は、丘の上の灯りへと帰っていく。
ーーメリークリスマス。
ひっそり光る緑石のオーナメントに、私は応えて呟いた。
[了]
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