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テウスは無言で頷いた。いまだ鍛錬の熱が取れていないのだろうか、無性に顔が熱い。生前もあわせるとかなり長い年月を重ねている彼だが、この女性とは顔を合わせるのが難しかった。精神が体に引っ張られるのはよくあることだが、なんともいえない気分になった。しかし、罪悪感が膨らんだ気持ちを冷(さ)ました。こんな不義理な感情を抱いてはならぬのだ、と。
女性にしては背は高く、男性にしては低いテウスと並ぶとどうにも姉と弟のように感じられる。大人っぽい色気を持つ彼女と童顔の彼の組み合わせは余計にそれを助長しているように思えた。
彼女の名前はアリアという。
細身でしなやかな体をし、その上を真っ直ぐな赤毛が流れ落ちている。
絶世の美女――というわけではないが、優しげな笑みは多くの男を虜にすることだろう。
「……よいしょ」
答えを返さないテウスを気にした様子もなくアリアは柔らかく笑い、持っていた籠を地面に置いた。そして両膝を折ってしゃがみこんだ。テウスが籠の中をちらりと覗くと三角形で白いものが見え、慌てて目を逸らした。
鼻歌交じりにアリアは籠から出した服を水に浸して慣れた手つきで洗ってゆく
テウスは冷たい空気を吸い、
「えっと」
「ん?」一端手を止めてアリアは振り向き、「どうしたの?」
「手伝おうか?」
「うーん」
と言うなり、アリアは絞った服を手に持って籠に入れた。そして、空いた手の人差し指を顎に当てた。ときどき出てくる幼い仕草が、テウスの心臓を跳ねさせるのにはおそらくこの女性は気が付いていないのだろう。
ややあって、アリアはテウスがすんでいる家の逆方向を指した。
「じゃあ、全部洗った後にこの籠を家(うち)まで運んでもらえる?」
逡巡することなくテウスは三回ほどすばやく頷く。
「いつもありがとう」
「どういたしまして」
時々洗濯のためにこの場所を訪れる彼女を手伝うのはもはや恒例と化しているのに、テウスは未だたどたどしい受け答えしか出来ないでいた。
ふと、誰かの大きな欠伸が聞こえた。
石畳の上を二人して坂を上る。何も隠すものが無くなった太陽に照らされ、二人の影が短くなる。そろそろ皆――住人の多くが起き出す時間なのか、だんだんといろいろな声音が風に乗っかってきていた。二人のうち男のほう――テウスは、手にもった籠を包むように抱きながら、隣を歩く女性――アリアを横目に見る。
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