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『聖女』――彼女は、『フォールス』の住人にとって呼吸するのと同じくらい当たり前に染みついている。この国のことわざで、『聖女を知らぬ者、すなわち旅人なり』――というものがある。言い得ている、とテウスは思う。なぜなら、聖女の言葉は絶対で崇高で偉大でどうあっても国民はそれを理解してなければならないからだ。逆に言えば、それを知らない者は余所者だと推測が立つ。一目見れば彼女の素晴らしさを理解できぬ者はいないので、役に立たない部分もある。
つまり聖女のおわす家はあの塔。だから、至高の存在たる彼女と並び立つなど畏れ多いにもほどがある、ということで、他の建物はすべてあの塔より低く設定されているらしい。
なぜ聖女がそのように雲の上の存在であるのかというと、一言で言うならば建国者であり『三大魔術師』の一人だから――というのが最たるものだろう。
「どうしたの? ぼーっとして」
と、アリアが聞いてきた。テウスははっと我に返り、なぜか後ろめたいものを感じて誤魔化すように言う。
「えっと、その。聖女様のことを考えてた」
アリアの青い瞳がすっと細くなり、やけに平坦な声で聞いてきた「どんなふうに?」
なぜだろうか、悪鬼にも勝るほどの威圧感を感じてテウスは一歩後ろに下がる。背後に位置する家よりアリアの方が大きく見えた。
テウスは急に乾燥された喉を酷使するかのように声を吐き出す。
「っと、その……。なんというか、聖女様はスゴイ人なんだなー……と」
やけに尻すぼみになり、ちらちらと上目遣いでアリアの表情を窺ってしまう。気のせいかも知れないが、彼女の眉根がほんの少し寄っているような気がする。
「そう」
単調な声が返ってきた。しかし、先ほどまでの圧迫感は消え、いつものアリアの笑顔があった。
テウスはほっとして肺に溜まったものをゆっくりと吐いた。地雷を踏まずにすんだようだ。――と、そのとき。
「アリア、お疲れさん」
ドアの開いた音と共に出てきた一人の男性が言った。すらりと伸びた長身に精悍な顔つきをしている。テウスは無意識に自分と重ねてしまい、目線を下に落とした。しかし非情にも、男性の作った影が自分の影を完全に覆っていた。
「いえ、いつものことですから。リーさん」そう答えたアリアがテウスと会話している時より弾んだ声音をしているように思えた。
「じゃ、朝ごはんにでもするか」
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