小さな雛鳥と迷い猫

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******  自我をはっきりと自覚した時には、ニリクは別の場所に立っていた。 「おや?」  ぽつんと立ったまま、光一筋も見当たらない闇を、ニリクは見渡した。  夜よりも深くて重たい闇だけが広がっていて、他に目ぼしいものは見当たらない。  次に自分自身の格好を見下ろすと、やはり血で汚れたままだった。 「そうか・・・ここは・・・・・・」  自分が立っている場所に、ニリクは驚きを感じることなく、冷静に受け止めた。  何も考えずに、前へと進んで歩く。  どれほど歩いたのだろうか。それでも、まだ暗闇だけが広がっていた。  と、思われていたが、進んだ矢先で、歩みを止めた。  目の前に、黒い河が流れていた。それは、あの世の瘴気と死魂の集合体・・・『死の河』と呼ばれるものだ。  この河が流れているということは・・・・・・ここは間違いなく、彼岸の一歩手前のところだ。  この河自体、初めてではない。古に伝わる方術により、何度か垣間見たことがある。なので驚くことでもない。  この向こうには、死んだ魂が行ける場所がある。この河を渡った先に・・・。  胸がちくりと痛んだが、ようやく待ちわびた願いを胸に、ニリクは一歩踏み出した。  が。たったの一歩で、踏みとどまった。  河の向こうに漂う影に、気付いたからだ。 「母上・・・・・・」  河の上に浮かぶその影を、ニリクは呼んだ。  すると、それはくすりと笑みを返した。  慈愛に満ちたその人物こそ、ニリクが幼いころに死に別れた、前任者だった。  白磁の肌に、切れ長の金の瞳。誰もが綺麗と称賛する顔立ちに、烏の濡れ羽色の長い長い、絹のような黒い髪。纏う着物は、大昔に流行していた、十二枚の重ね着。  その相貌はニリクに近いが・・・・・・娘の方と、瓜二つだ。 「母上・・・そう呼ぶのは、幾百ぶりか・・・」  自分がまだ三つの頃に死んでしまった母の面差しは、確かに自分と強い血を感じさせる。  正しく、自分はこの美しい人から生まれたのだと、実感した。 「貴方が私の道先案内人をしてくれるというのか・・・まことに、嬉しきことでございます」  久しぶりの対面だというのに、胸から喜びが、どうしてか沸き上がって来なかった。  自分を見つめる母は、笑ったままだった。 「母上・・・私は、当の昔に、生きることに疲れました・・・・・・」
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