61人が本棚に入れています
本棚に追加
/182ページ
******
自我をはっきりと自覚した時には、ニリクは別の場所に立っていた。
「おや?」
ぽつんと立ったまま、光一筋も見当たらない闇を、ニリクは見渡した。
夜よりも深くて重たい闇だけが広がっていて、他に目ぼしいものは見当たらない。
次に自分自身の格好を見下ろすと、やはり血で汚れたままだった。
「そうか・・・ここは・・・・・・」
自分が立っている場所に、ニリクは驚きを感じることなく、冷静に受け止めた。
何も考えずに、前へと進んで歩く。
どれほど歩いたのだろうか。それでも、まだ暗闇だけが広がっていた。
と、思われていたが、進んだ矢先で、歩みを止めた。
目の前に、黒い河が流れていた。それは、あの世の瘴気と死魂の集合体・・・『死の河』と呼ばれるものだ。
この河が流れているということは・・・・・・ここは間違いなく、彼岸の一歩手前のところだ。
この河自体、初めてではない。古に伝わる方術により、何度か垣間見たことがある。なので驚くことでもない。
この向こうには、死んだ魂が行ける場所がある。この河を渡った先に・・・。
胸がちくりと痛んだが、ようやく待ちわびた願いを胸に、ニリクは一歩踏み出した。
が。たったの一歩で、踏みとどまった。
河の向こうに漂う影に、気付いたからだ。
「母上・・・・・・」
河の上に浮かぶその影を、ニリクは呼んだ。
すると、それはくすりと笑みを返した。
慈愛に満ちたその人物こそ、ニリクが幼いころに死に別れた、前任者だった。
白磁の肌に、切れ長の金の瞳。誰もが綺麗と称賛する顔立ちに、烏の濡れ羽色の長い長い、絹のような黒い髪。纏う着物は、大昔に流行していた、十二枚の重ね着。
その相貌はニリクに近いが・・・・・・娘の方と、瓜二つだ。
「母上・・・そう呼ぶのは、幾百ぶりか・・・」
自分がまだ三つの頃に死んでしまった母の面差しは、確かに自分と強い血を感じさせる。
正しく、自分はこの美しい人から生まれたのだと、実感した。
「貴方が私の道先案内人をしてくれるというのか・・・まことに、嬉しきことでございます」
久しぶりの対面だというのに、胸から喜びが、どうしてか沸き上がって来なかった。
自分を見つめる母は、笑ったままだった。
「母上・・・私は、当の昔に、生きることに疲れました・・・・・・」
最初のコメントを投稿しよう!