発端

6/7
前へ
/59ページ
次へ
 私たちがそれから外に出ると、探偵社の前には一台の小型車が止まっていた。 「遠慮するな、乗り給え」 探偵は運転席に乗り込んで言う。 「T型フォードじゃないか。こんな車どうしたんだ」 私は驚いて言う。 「前の依頼主が置いていったんだ。人殺しのあった車に乗りたくないといってね」 「しかし、何処に行くんだ。この車じゃ九州まではいけないよ」 私は助手席に収まる。 「一人乗っけてくるんだよ。僕の助手だ。君は助手として使うには頼りがなさすぎるからね」 車は走り出す。 車はしばらく走ると銀座で止まった。 大鳥は降りる。 どうやら、ここが目的地らしい。 「この店に入るぞ」 大鳥はひとつの店に入っていく。 やけに当世風の外観の店だ。 私は大鳥に続いて店内へ入った。 中は洒落た喫茶店だった。勿論私のような男の来る店じゃない。 大鳥は奥のテーブル席に声を掛けた。 席に座って和とじ本を読んでいた女性が振り向く。 振り向いた女性の姿を見て、わたしは驚いた。 一瞬、いつか活動写真で見た海外の女優に見えたのだ。 それほど、その女性は日本人離れした美しさを持っていた。 黒真珠のように大きい瞳とツンと尖った形のよい鼻が、短く切った黒髪に良く映えている。 巷ではやっているモガ、すなわちモダンガールというのは、彼女のような人のことなのか。 「おい、仕事だ。家まで送るから準備しなさい。二、三日九州に行くぞ」 大鳥が声をかける。まるで身内にするような言い方だ。 「この女が同行することになるが、手を出すなよ。広瀬君」 「おい、探偵。彼女は君の女なのか?」 私は大鳥に耳打ちする。 「何馬鹿なことを言っているんだ。こいつは僕の姪だ。探偵の仕事を手伝ってもらっている。  徳大寺兄貴のことは君も知ってるだろう。あれの娘だ」 大鳥の年の離れた兄である徳大寺実則は、ちょっとした権勢家だった。 もとは内務官僚をしていたが、徳大寺財閥に婿入りし今は自社のコンツェルンを作ろうと財界で邁進している。 その娘ということは、社長令嬢ということか。 「姪の徳大寺清子です。文筆家の広瀬先生ですね。よろしくお願いします」 鞠を突いたような弾んだ声だ。 「よ、よろしくお願いします」 私は途端にしどろもどろになる。もともと女に弱いたちなのだ。 その私の姿を見て、徳大寺清子は微笑んだ。
/59ページ

最初のコメントを投稿しよう!

81人が本棚に入れています
本棚に追加