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「だれだ」
扉の向こうで気配を殺している――誰かは見当がついた。
「ごめんなさい」
扉を開けて入ってきたのは、心だった。
「何だ。ようか?」
私はピアノを引く手を止め、心をにらんだ。邪魔されるのが一番気に障る。
「あなたのピアノを聞きに来ただけよ。いけないかしら」
心はゆっくりとした足取りでステージのほうによって、こしかけると、私に背を向けた。
「弾いて、諒」
私に背を向け、肩越しに微笑んだ彼女はやはり現実離れした美しさで、鼓動が嫌な風に一度高鳴った。
私はそれを飲み込むと視線をピアノの鍵盤に戻した。
半ば、心を無視して私は鍵盤に指を躍らせる。
つむがれる旋律がゆっくりと色を帯び始めた。
だんだんと意識が――無視していた意識がすべて音へと注がれる。
気持ちがゆっくりをおちていく――
――静かになっていく。
自分の心の波が手にとるようにわかる。
何分たっただろうか。六時の鐘が鳴って私は初めて手を止めた。
傾いた夕日が音楽室を真っ赤に染めた。
「学生会室にいくの?」
「ああ。仕事が残っている」
私はステージから飛び降りてさっさと階段教室の階段を上がっていく。
「アナタは歌わないのね?」
「歌?」
心は寂しそうに微笑んだ。なぜ彼女が寂しそうにするのかまったくもって理解が出来ないのだが、私は数段上がった階段の上から彼女を見下ろす。
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