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「歌わない」
「この前綺麗な声で歌っていたわ」
「きいていたのか?」
すっと自分の顔に険の表情が浮かぶのがわかった。
心は一瞬、その表情にびくついたようだったが、すぐに毅然とした表情をとった。
けれどその一瞬の隙を私が見逃すわけがない。
「忘れろ」
「いやよ」
「忘れろ。
そんなこと覚えていても仕方がない」
私は机を飛び越えて心の前に降り立つと、彼女のほほをつかんだ。見開いた眼が穴が開くほど私を見つめた。
「忘れろ。長には言うな」
「綺麗な歌だった、綺麗な声だった。忘れたくないわ」
「頑固なやつだなぁ」
「どうして?アナタは自分を隠すの?」
見開いた眼で心は訴えた。心臓がわしづかみにされるように胸が苦しい。そんなこと――私が一番ききたい。
「ピアノを聴きにくるのはかまわない。けれど、歌っていた事は忘れろ。わかったな?心」
軽く彼女を突き飛ばすと私はさっさと階段を上って音楽室を出ようとした。
「諒!」
扉を閉め音とほぼ同時に心の声が重なって完全に断ち切られた。
ばたばたと追ってくる気配があったけれど無視して、私は窓から飛び降りた。
下は裏庭だ。
この時間ならだれも居ない。私は音もなく裏庭に降り立つ。そのときだった。
「諒!」
「はぁっ!!??」
窓の桟に足をかけた心の姿がはっきりと見て取れた。
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