サクラオトメ

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 それは因果応報であった──僕が、幻に興味を持ってしまった事は。その瞳には何が映っているのか、気になってしまった事は。  いつ並木道を通っても、必ず同じ場所に居る彼女。街路樹に背を預け、何をするでもなく遠くを見つめているのだ。朝だろうと、夕方だろうと。晴れようと雨が降ろうと。  彼女を見かけてから一週間、彼女がそこに居ない日は一日たりとも無かったのだ。不思議に思った僕は、八日目の朝、ついに幻に向かって手を伸ばしてみる事にした。  おはようございます、と声をかけると、彼女は少し驚いた顔をし、次の瞬間には満面の笑みをたたえた。しかし、すぐに元の悲しげな顔に戻ると軽く会釈を返してくる。  視線が交差する。その瞳の奥に“僕の知らない誰か”の姿が映し出された時、何故か僕は、意味も無く恐怖を感じ取った。“これは良くないものだ”と本能が警鐘を鳴らすが、僕の体は丈夫なロープでぐるぐる巻きにされたかのように、身動きが取れない。背筋に鋭い氷の針を差し込まれたかのような悪寒に貫かれ、ただただ立ち尽くす事しか出来なかった。  ……が、それっきりだった。  びゅう、とつむじ風が巻き起こり、一瞬だけ目を閉じた隙に、彼女の姿は煙のようにかき消えていたのだ。その場に残されたものはと言えば、ようやく体の自由を取り戻した僕と、風に舞う無数の桜の花びらだけだった。  後で知った事なのだが、大昔、あの並木道で一人の女性が亡くなっているという話を聞いた。詳しい伝承は残っていないけれど、その女性は恋人との待ち合わせをしていたという。何日も何日も待ち続け、しかし恋人とは会えなかったらしい。  これは推測でしかないのだが、彼女と目が合った時に瞳に映っていた誰かは、きっと彼女の恋人なのだろう。待ち続けた恋人ではなく僕なんかが声をかけてしまったものだから、彼女は一喜一憂し、そして人違いと分かると消えてしまったのだ。  幻には触れられないし、触れてもいけないもの。手を伸ばして摘み取った花は、どんなに上手く活けてもすぐに枯れてしまうのである。  今となってはほとんど知る者も居ないこの町の小さな伝承は、町の小さな図書館で調べてみたところ、その女性が桜の木の側で果てた事から“桜乙女”と呼ばれているらしかった──
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