繋ぐ音

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私には家族がいる。 今日は特別な日なので、少しだけ昔の話がしたくなった。 私は生まれて間もなくある家にやっかいになる。 それが大木家だった。 私が大木家に来た日のことはよく覚えている。 子供が生まれたのだ。 その子の名前は誠太(せいた)。 少し小さいながらも元気な泣き声で、夜中もよく泣いたものだ。 初めての子供に大喜びの両親は戸惑いながらも大切に育てていく。 しかし、誠太が小学生になった頃、両親は交通事故で帰らぬ人となった。 誠太はずっと私によりかかって泣いていた。 私にいったい何ができたのか 何もできるはずはなかった。 甘えたい盛りのこの子の悲しみを理解してやることも、癒すことも私にはできない。 この小さなからだを抱きしめる事もできずに、私はただそこにたっていた。 その後、誠太は同居していた祖父母に育てられることになる。 祖父母は誠太を息子として、厳しくも愛をもって育てていった。 祖父は体が悪く働くことはできなかったが 両親の遺産もあり、裕福とは言えないが一般の暮らしは保障されていた。 誠太が中学生になったころ、よく私に話しかけてくるようになった。 学校で両親がいない事を理由に虐められている。 両親が恋しい。 勉強は嫌いではないが学校にはいきたくない。 そういって昔のように私によりかかって泣いていた。 そして、誠太は仮病を使うようになった。 胸が苦しい、頭が痛い、お腹が痛いといっては学校を休むようになっていた。 私が学校に行く時間だと知らせると、私にものを投げつける事もあった。 私はとても心配していた。 祖父母はいじめられていることは知らない。 そんなに具合が悪いならと、病院へ連れて行こうとするが言うことをきかない。 困りはてた祖父母は家に医者を呼ぶが、誠太は部屋に閉じこもってでてこない。 このまま誠太は家から出なくなってしまうのではと心配していたある日。 一通の手紙が誠太宛てに届いた。 その手紙を読んで、次の日誠太は学校にいった。 そしてその次の日も学校へいき、それ以降誠太が仮病で休むことはなくなったのだった。 誠太は中学を卒業したが、高校へはいかずに小さな町工場に就職した。 誠太は一生懸命働いた。 期待しているよ。 就職の際、社長に言われたその一言が嬉しかった。 就職して2年後、祖父が亡くなった。 以前から心臓を悪くしており、突然倒れてしまった。
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