教育

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最近、『殺す気はなかった。』と自供する殺人犯を良くみる。高校生グループが中学生をイジメて重体に追い込んだ事件でもそうだが、何故加減を知らないのか。何故『これ以上は危ないな』とか、『この行為は危険だな』と思わないのか。 理由は簡単、知らないからである。 喧嘩を悪とする教育を受けてきた現代人にとって、暴力はあまり縁の無い行為だ。本来なら力の弱い子供の時に力加減を覚える筈が、周りの大人達がそれを阻止してきた。 暴力は駄目な事だ。喧嘩はしてはいけない。話し合いで解決しなさい。 皆何時かの先生に言われた事があるであろう。 だが良く考えて欲しい。まだ人生経験が少なく頭の回転も大人と比べると遅い子供達が、大人の様に話し合いでの解決を出来るだろうか。当然その場しのぎにしかならないだろう。 つまり、喧嘩を根絶する事は不可能である。ならば、“喧嘩は悪だ。”と教えるので無く、“これ以上は危険だ。”と教えるべきであろう。 それによって程度というものを知り、自ずと喧嘩は何も産まないと気付く筈だ。 言う事は簡単だ。だが実際行動に移すと、それは大問題になる。 現代の親や大人は、ただの子供の喧嘩と受け止める事が出来ないからだ。昔は子供の喧嘩を親達は黙って傍観していたものだが、最近では裁判沙汰になったり教師の責任問題に発展したりする。 教育を、知識を詰め込む事だと勘違いしている大人達が多すぎるのでは無いだろうか? 親達は子供の成績ばかり気にして子供と向き合わず、教師達はただ答えを教えるのみ。 その影響で表面上を重視する社会が出来上がり、自主性の無い人間が増えている。日本人は、いい加減に過去から脱却するべきだろう。 確かに前世紀までは目上には従うべきだったかもしれない。だが、いざ下の者が上に立った時に上手く行く筈が無いと学習するべきだろう。 これからの教育で重要なのは、 『子供を学ばせる事』 ではなく、 『子供が学ぶ事』 であると言える。 また学ぶ内容も、知識だけではなく“目に見えない事”も学ぶ事が重要だ。
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