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遠山金四郎が、藤堂家の駕籠で、屋敷に帰って来たのは、日が暮れてからであった。
馬頭のはる、改め、おはると、蘿蔔の三太は、屋敷の門の外で、首を長くして、今か今かと、金四郎の帰りを待っていた。
「大事無い」
金四郎は、おはると三太の心配そうな顔を見付けて、安堵の笑みを浮かべた。
「お帰りなさいませ」
おはるの声が震えていた。
三太が、翳した提灯が、おはるの頬を光らせた。
「全て終わった」
金四郎は、袂から紙に包んだ菓子を出して、おはるに渡した。包み紙が、おはるの涙を吸った。
「はい」
おはるは、菓子の甘い香りを感じながら、やり直そうと思った。
翌朝、日が昇ると直ぐに、小堀屋のともが、金四郎を屋敷に訪ねて来た。
三太が、それを、奥のけいに取り次いだ。
「おともさんが?!」
けいは、子と自分の朝餉を調える手を止めた。自分の膳から子の膳に移そうとしていた里芋が、ころころと転がり落ちた。声が上擦り、鼓動が高鳴った。今日こそ、真実を、夫に打ち明けようと、瞬時に覚悟を決めた。
三太は、里芋の行方を確かめるのに気を取られて、けいの異変に気付かなかった。
一方、おはるは、固辞するともを、半ば無理矢理、座敷に引っ張り上げた。
「和泉守様は、お若いが、そんな小せえ、お人じゃねえ。全て水に流してくださった」
金四郎は、和泉守の切っ先が突き付けられた頸を擦った。
「安心いたしました」
ともは、金四郎の無事を確かめて、胸の閊えが、一つ下りた。
「折角、来てくれたが、これから、登城する。ゆっくりして行け。奥!」
金四郎は、けいを呼んだ。
「厚かましく、お邪魔いたしまして、申し訳ごさいません」
ともは、金四郎が突然、母親のけいを呼んだので、びくっとした。逃げ出したくなった。
「いいってことよ」
金四郎は、手を左右に振った。
けいが、衣擦れの音と共に、座敷の隣の間に控えた。初めて見る、我が子、ともの後ろ姿が、目に飛び込んで来た。
ともは、振り返って挨拶をするべきであったが、どうしても、それができなかった。体が石になった。
「小堀屋のおともだ。そなたの娘と思って、面倒を見てやっちゃくれねえか?」
金四郎は、そそくさと、立ち上がった。
ともとけいの目と目が合った。
表から、馬の嘶きと蹄の音が、聴こえて来た。馬の機嫌は上々らしかった。
<終>
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