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「通之進、帰って参れ。この父を助けてはくれぬか?」
景晋が諭す様に金四郎に語り掛けた。金四郎に頼み事をするのは初めての様な気がした。
「それはもはやかないませぬ」
金四郎は首を小さく振った。唇を噛み締めた。家も侍も捨てた積もりであったが心が激しく揺れた。
「何故じゃ?」
景晋は優しく問い掛けた。
「できることならばそうして差し上げとうございます。しかしながら、これがそうはさせてはくれません」
金四郎は慣れた仕草で諸肌を脱いだ。二の腕から肩さらに胸に掛けて桜吹雪が舞っていた。金四郎はそのままくるりと背を景晋に向けた。一層見事な満開の桜であった。季節外れの桜は秋風に吹かれてか震えている様に見えた。
けいは素直に美しいと思った。そして金四郎がそっと涙を呑み込んだのを見逃さなかった。
「通之進、そなたは異国人を見たことがあるか?異国の者は肌の色だけではのうて髪の色、目の色まで違うのじゃ。言葉も違えば箸も使わぬ。それを思えばそなたの桜など何ほどでもない。次々とやって来る異国船の始末がいずれ手に余って父は切腹を仰せ付かるであろう。この皺腹など惜しくはないが、この命を絶ったところで何も変わらぬことが口惜しいのじゃ。堀田様の御前で申すのも憚られるが、今の大公儀に異国を抑える力は無い。異国と戦になれば、父の様な者は役には立たぬ。そなたの様な男こそ必要とされるのじゃ。ここは堪えて帰ってくれぬか?」
景晋は息子の背に手を置いた。
金四郎は父に泣き顔を見せまいと岩の様に身を頑なにしていたが、一つだけうなずいた。
「今から金四郎と名乗るがよい」
景晋に許された通り、これ以降金四郎は「金四郎」と名乗るようになり、程無く家に戻った。
けいが嫁ぎ先を考えていて何かと思い出されたのはこの時のことであった。子と別れてから、自分の幸せなど望まなかった。ただ金四郎となら自分の気が楽なのではないかと思った。もうこれ以上苦しむのは嫌だと思った。
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