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十兵衛の娘ともは重大な決断を迫られていた。父の容態はじり貧であった。頼るべき母親のけいからはあの付け文以来何の反応も無かった。小堀屋の舵はともが独りで取らなければならなかった。歳など関係無かった。
江戸に踏み止まるのか江戸を引き払うのか。撤退すればもう二度と命を付け狙われることは無くなるであろう。しかし小堀屋として舐めらたままでは今後の地元での商売にも障る。奉公人にも示しが付かない。瓢箪から駒にしても江戸で生きていることが分かった母親とまたまた離れ離れになってしまう。
考えてみれば、十兵衛が江戸に店を持つなどと言う無茶をともに許したのも、母けいのことがあったからかかもしれない。ともはそう思った。
深川に居座るとなるとこれは敵と一戦交えることになるかもしれなかった。敵も今は自分の命までは求めてはいない様ではあるが、深川にしがみ付けば敵もその一線を踏み越えて来るに違いなかった。そのくらいはともにも分かった。
「奉公人」と言えば聞こえはいいが、小堀屋の深川部隊は屈強な精鋭ばかりである。まさに侠気の集団であった。主の十兵衛が襲われてからは主の敵を討つと益々血気盛んであった。必要とされているのはともの覚悟だけであった。
深川小堀屋の帳場に続いた板の間にはぴんと張り詰めた空気があった。奉公人の息が各々白かった。未明にともが奉公人全員を招集したのである。
「深川に残る」
ともは奉公人に断言した。
奉公人がどよめいた。皆、喜びにうなずき合っていた。待ちに待ったともの一声であった。
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