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代書屋弥次郎は早朝から忙しかった。魚市場から端書の依頼が大量に出たのである。北風が遠退き南風が躊躇っている頃であった。この時期の端書と言えば催促状であった。暮れに払いが滞った納品先に利子も合わせた貸しの総額を知らせ、近々の取引停止を臭わせるのが目的であった。市場を構成する問屋、仲買、小売の出す依頼がほとんどであったが、問屋に魚を納める荷主や現金商売が原則の棒手振りの依頼が混じることもあった。
催促状は正確さが命である。お笑い種ではあるが催促する側が誰にいくら請求すればよいのか漠然としか把握していない丼勘定の場合もある。利子も生まれることなので期限もあって急がれる。多くは付き合いの長い顧客に対して送られるものなのでそうそう紋切型と言う訳にも行かない。払ってくれさえすればお得意様である。少し下手に出ながらもきっちり念を押すところは押す。そこが催促状の要諦であった。
催促状書きは神経が磨り減る割には儲けが少ない仕事であった。しかも魚市場は侠気の支配する場所である。間違いがあった日にはきっちりと落とし前を付けなければならないのである。代書屋が御用聞きに伺って喜び勇んで持ち帰る類の仕事ではないのである。ある日突然厄介な仕事が店に投げ込まれると言った方が的確な言い回しかもしれなかった。
弥次郎は魚市場からの注文を断ったことが無い。寝ているところを叩き起こされても嫌味を一つ二つ言うくらいで断ったりはしない。もちろん間違いをしでかして落とし前がどうのと言うことになったことはない。お蔭でこの頃は魚市場の催促状はほとんど弥次郎が引き受けているのが実状であった。流石の弥次郎もそろそろ限度かなと思わないでもなかった。
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