十一段

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 「いらっしゃいませ」  弥次郎は両手を突いて深々と頭を下げた。両手は墨汚れ一つ無かった。解れ髪が動きに連れて揺れていた。  「私は遠山金四郎の妻けいと申します。主の弥次郎様でいらっしゃいますか?」  けいは会釈をした。初詣に出たけいに文を渡したのは弥次郎ではないことがはっきりと分かった。大島に映えた色白の男の顔をけいは直視できずに頬を染めた。惹き込まれる様な男の色香を感じ取ったのであった。  「私が弥次郎でございます。ささ、お上がりくださいませ」  弥次郎はけいに座布団を勧めて火鉢も近寄せた。座ったけいの姿は娘の小堀屋ともと重なっていた。  「先日お届けいただいた文ですか・・」  けいは言葉尻を濁した。  奥から女が出て来て茶を出した。弥次郎は女を空気の様に扱った。とてもゆかしい香りを残して女は奥へと消えた。  「はい」  弥次郎は自分から余計なことは言わない。  「小堀屋十兵衛様が瀕死の手傷を負われたと言うのは確かなことでしょうか?」  けいは勇気を振り絞った。  「私が直接参って確かめた訳ではございませんが、どうやら確かなことの様でございます」  弥次郎は確かな筋から入って来た情報を握っていた。その筋をさらに突けば下手人も後ろで糸を引いている者も知れるに違いなかった。  「十兵衛様がこちらのお店にお出でになったのでしょうか?」  けいはもう一歩踏み込んだ。  「その辺のことはご勘弁ください。商いの上での秘密でございまして」  弥次郎はやんわりとした笑みで断った。  「それは困りました」  けいは肩を落とした。  どこからか時計が時を刻む音が聴こえていた。
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