十二段

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 先代の魚定の親分の時であった。老中松平定信が幕政改革と称して膨張を続ける魚市場を規制しようとした。力で屈服させようとした幕府に対して魚市場は裏で情報戦を仕掛けて抵抗した。面従腹背である。その際に最も物を言ったのが棒手振りの情報網であった。役人一人一人の弱みを事細かく調べ上げ水面下で締め上げた。幕府が笛吹けど役人はああだこうだのらりくらりと踊らなかった。三年の抗争の末、わざわざ老中が魚定を訪れて手打ちとなった。表向きは魚定が老中に深々と頭を下げて恭順の意を示し幕府の面目を保った決着となったが、その実、魚市場の全ての権益は安堵されたのであった。その手打ち以後、魚市場の親分の屋号が「魚定」になった。老中の諱の一文字を頂戴したのであった。それがあの幕府にとって全く無益であった抗争の名残の一つであった。  弥次郎が初詣に向かうけいに届けた書状は何の変哲もない恋文であった。それこそが十兵衛の娘ともの注文であった。余計なことは一切盛り込まない。純粋な恋文がいい。けいはしつこいくらい念押しした。ただ一つ十兵衛が瀕死の手傷を負ったことだけは文の初めに書いて欲しいと要求した。弥次郎が提案したのは元良親王の歌を添えることくらいであった。  ともが十兵衛の名を借りてけいに送った恋文に籠めた気持ちは間違い無く「お母さん助けて!」であった。しかし本人はそれに気付いてはいなかった。衰弱した父親を抱えて深川の店を守っていかなければならない。江戸に店を持つと言い出したのは自分である。江戸からおめおめ引き下がれないと背水の陣を敷いている奉公人の気持ちはひしひしと感じられた。逃げる訳にはいかなかった。奉公人の命と暮らしを背負わなければならなかった。荷が重かった。自分の命も惜しかった。物心付いていつかそんなな日が来ることは分かってはいたがこんなにも早くしかもこんな緊迫した形で来るとは思ってもみなかった。無意識に母親に助けを求めたとしても何の不思議も無かった。  弥次郎は文机の前でそんなともの気持ちを忖度していた。やおら筆を執るとまるでけいの残り香を含ませる様に硯の海に泳がせた。
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