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これには、もっともな事情があったのだ。
今年の来たる2月、毛利輝元は、備前国の宇喜多直家と手打ちを行うと決めていた。
織田信長の仲介により、和睦すると決定したのだ。
既にそのための事前交渉も行われ、和睦の条件も、ほぼ調っている。
やっと備前国、備中国、美作国、三国の情勢が安定に向かおうという時なのだ。
今この時点で、仲介役の織田家と揉め事を起こしたのでは、毛利家としては具合が悪い。
それにしても…
と輝元は、ため息混じりに思う。
そもそも三国混乱の発端は、あの山中鹿介なのだ。
尼子勝久を押し立てて、出雲国入りした山中鹿介は、西の方大友宗麟と結び、東の方浦上宗景や、瀬戸内水軍の村上武吉らを味方に引き入れたのである。
とんでもなく巨大な包囲網だ。
これは、一つ判断を誤れば、毛利家存亡の危機につながりかねない。
さすがの御祖父様も、あの時は焦慮に身を焦がすような御様子であったが…
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