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輝元は、祖父の元就が、酷く憔悴しているのを間近で見た。
あの自信に満ちた御祖父様が…
と驚いた事を今でもまざまざと、思い起こすことができる。
やがて出雲国の騒擾は鎮定され、その元凶であった尼子勝久と山中鹿介は、出雲国から排除された。
しかし毛利陣営は、その後も長いこと動乱の後遺症に苦しめられることになってしまったのである。
すなわち、毛利家と尼子家の抗争に付け入る形で勢力を拡大した備前国の浦上宗景が、備中国と美作国へ手を伸ばすのを座視することになってしまったのだ。
今やその浦上宗景は、昨年12月には、織田信長から、播磨国・備前国・美作国・三国切り取り次第の朱印を与えられるまでに台頭しているのである。
これを危険視した小早川隆景は、その勢力を削ぐための手だてを画策し、宇喜多直家の支援を決めたのだ。
浦上宗景の傘下でありながら、反目しあっている宇喜多直家は、毛利家と手打ちした一ヶ月後の3月には、浦上宗景に対して決起を決めていた。
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