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プロローグ1
兵士が街を駆け抜けていく。
しなやかで光沢のあるピンクのバトルスーツを身につけ、女性が好んで使用する軽くて機動性の高いショットガンを脇にさげている。
動きが若々しい。
兵士はコンフェッションボックスに駆け込み、ドアノブをガシャリとロックすると、緑色のランプを睨みつけた。
所詮ちゃちなセキュリティ。作動に、なぜこんなに時間がかかるんだ!と。
きっかり二秒後にランプが緑に変わり、それを待ちかねたように、兵士はヘッダーからゴーグルをはずした。
エメラルド色の瞳を生体認証にかけ、十三桁のアイディーを一瞬のうちに打ち込む。
コンマ三秒後にコンフェッションボックスのコンソールは内壁もろとも消えうせ、五、六十平方メートルほどの部屋に立っていた。
「パパ! 大変! サリが死んだ!!」
部屋の中央に男がいた。
「さ、どこにでもお座り」
女性兵士の言葉を無視したわけではないだろうが、にこやかな表情のまま、男はいつものように泰然と座っていた。
「おかしいのよ。殺されてからもう一週間も経つのに、再生しないのよ!」
部屋には、至るところに様々な椅子が置かれてあった。
女はいつものように、お気に入りの紫色のベルベットの小さなチェアに腰掛けた。
「今日は珍しくバトルスーツのままかい?」
「あーん、そんなことより」
「サリが死んだって?」
「パパ」の部屋には様々な二十脚くらいの椅子が置かれてあるが、その配置は毎回違う。
女がいつも座るスツールは、今日は「パパ」の真正面に置かれてあり、まるで面談用の椅子に座ったような気分だった。
「うむ」
「ウンじゃないわよ。こんなことってある? 一体どうしたっていうのよ!」
男が静かな微笑を消した。
「サリって、だれだい? 急がないのなら、詳しく話してごらん」
「サリがやられた!」
ゴーグルに流れた緑色の文字は、ンドペキが発したものだった。
チョットマは、その言葉を記憶に留めただけで、作業に没頭していた。
先ほどから、執拗に攻撃してくる自動殺傷装置系ロボが放つ電流系エネルギー弾を、ハンディシールドで受け流しながら、小さな箱を地面に据えた。
箱は超密度の金属でできており、上部にふたつのスイッチが付いている。手の平に軽々と乗るシンプルなものだ。
スイッチを押すと、チョットマは振り返りざまにショットガンの引き金を引き、装置系ロボを粉砕すると、スコープのモードを切り替えた。
小箱からは既に大量の髪が伸びていた。
箱の金属そのものが目に見えない程のごく微細な糸となって、周辺の希少金属を採取してくるのだ。
周りはありとあらゆる瓦礫で埋め尽くされている。
見慣れた光景である。
というより、チョットマはこんな光景しか見たことがなかった。
どこまで行けども、コンクリートと金属と樹脂系のゴミの山。そして砂塵舞うばかりの原野。
これが地球の光景なのだと思っている。
もっとも、チョットマの移動継続能力は高い方ではない。
ねぐらとしている街から遠出をしたとしても、距離にしてせいぜい数百キロメートルほどだろう。
その向こうに何があるのか、チョットマは知らなかったし、知りたいとも思わなかった。
少なくともこの瓦礫の山より、いいものが待っているとは想像さえしなかったからである。
誰かがやられる。
これは、それほど珍しいことではなかった。
毎日のように起こるかというと、そうでもないが、チョットマ自身もついひと月ほど前に、手に負えない相手に挟まれてしまい、命を落としそうになった。
たとえ死んでも、政府が管轄する再生機構によって、たいていの場合、数日後にはほとんど元のような体となって街に出て行くことができる。
先日も同僚の兵士が死んだが、三日後には再生され、その二日後にはいつものように瓦礫の山に突入している。
甦ったのか、というとそうではない。
再生されたのである。
しかし、サリが死んでから、既に七日も経っていた。
「ね、パパ。仲間のみんなは、サリは政府に殺されたんだって騒いでる。ね、こんなことってある?」
男は迷ったような表情を見せ、しばらく黙っていた。
「みんなは、どんなことを言ってるんだい?」
男の声音に、女は苛立ちを隠そうともせず、
「知ってることがあるのなら、教えてよ!」
と、叫ぶように言った。
チョットマの仲間達は、サリが政府によって処分されたと騒いでいた。
なんらかのペナルティを課されたのだと。
ただ、どんな違反行為による処分なのかというと、全く見当もつかないのだった。
軍には半ば愚連隊にも劣る堕落したものたちも多い。しかし中でも、サリは規律を守り、成績も優秀な第一級の兵士なのである。
ただ実際は、軍としての行動は既に無くなって久しい。
戦争ないし紛争らしきものは、ここ三百年以上も起こっていないのだ。
連日、瓦礫ヶ原に巣くう先時代の殺傷兵器の処理と有用金属の回収という「任務」をこなすだけの毎日である。
そんな日々の中で、サリは、再生不可処分になるほどの、どのような不始末をしでかしたというのだろう。
「サリという子の処分について、僕は知らない。ただ言えることは、ペナルティによる再生不可処分しか考えられないかというと、そうでもない」
「どういうことなの?」
男がかすかに笑ったようだった。
「チョットマ、君は勉強をしなかったのかい?」
女は肩を落とした。
「私さ…」
「ゴメン。傷つけるつもりはないんだ。ちょっと冷静におなり」
「うん…」
再生不可処分は、必ずしも再生拒否ではない。
むしろ、より良いステージに上がるために、稀にではあるが、同等あるいは類似系の再生ではなく、人としてのより多くの才能を付加した再生も現に行われているのだ。
そんなとき、元いた仲間達の元に返るということはまずない。当然ながら、新たな使命が与えられるからである。
また、本人が望んで、別の人格として再生することもできる。
この場合も、通常は元の仲間達とは疎遠になるだろう。
「分っているんだろ。サリという子が、必ずしもペナルティによって再生を拒否されたわけではないことを」
女は黙って下を向いた。
チョットマにしてみれば、いや、毎日を精一杯生きている仲間たちにしてみれば、認めたくはないのだ。
サリがなんらかの形で、つまり政府のお声掛りによって、あるいは自らの意思で「抜けた」のかもしれないことを。
サリの成績が優秀であればあるほど、品行が正しければ正しいほど、ペナルティによる再生拒否ではなく、その可能性は高いということも分かってはいるのだが。
「でも、パパ…」
「なんだい?」
「サリは、私たちを出し抜くような人じゃない…」
「うん」
「それに…」
男は、記憶の中から、サリという女性の輪郭を思い出していた。
目の前にいるチョットマより背丈はかなり高い。体にフィットする柔らかいカーボン繊維のバトルスーツではなく、硬い装甲に身を包んでいた。
ボディスーツにもヘッドギアにも、ハードな戦闘を潜り抜けてきたものが持つ、容赦ない傷が無数に入っていた。
ただひとつ、ブーツに金糸がバラの花を描くように使われていて、女性であることを物語っていた。
その女性の名がサリであると知ったのは、気まぐれで彼らの会話を傍受したからである。
男はたまたま送られてきた、送信者不明の情報に記された方法によって、街の人々の会話を傍受するスキルを身につけていた。
システムの不備なのか、あるいは最初から組み込まれた機能なのかは分らなかったが、試してみると、いとも簡単に内容を把握することができた。
盗み聞きの後ろめたさで、気持ちのいいものではなかったし、娯楽としては低俗過ぎて、すぐにやめてしまったが、男は一度でも脳に収められた記憶を忘れることはない。
サリという名を聞いたその時から、すぐにそんな記憶を呼び出していたのだった。
「パパ、私たち、どうしたらいい?」
女は、涙を流していた。
「生き返らせたいのか?」
「……」
この女は、サリを愛しているのだ、と男は思った
「今、どうしているのか、知りたいのかい?」
男はサリの消息を知らない。
ただ、調べることはできるかもしれない。
政府が取った処置を調べることは、不法行為でもなんでもない。意図して隠されていなかった場合は。
「うん」
女は頷いた。
そして涙を拭った。
男はいとおしい目で女を見つめた。
自分の記憶量に比べて、チョットマの記憶量は万分の一にも満たないだろう。
しかし男は、チョットマが、世間の簡単な仕組みさえ勉強しなかったのだ、とは思っていない。
現実に目の前にあるものを激しく吸収するあまりに、少し前に仕入れた知識、むしろ常識といえるような事柄までも次々に捨てていくタイプの人であることを知っていた。
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