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だが、こんな状況で落ち着いていられる人間は、よほど肝の座った奴か、普段からこういった常軌を逸脱した日常を送り、頭の中があきゃきゃになってしまった人くらいのものだろう。生憎、七瀬北斗はそのどちらでもなかった。もっと言うならば、彼は今すぐにでも逃げ出したいと思っていた。
だがどういうわけか。彼はその場に拘束された花嫁姿の少女を解放し、逃げるべき先、誰もいない道を指差し、彼女を立ち上がらせ、めいいっぱい走らせた。周囲には麦わら帽子の集団が一斉に、視線という殺人光線を降り注がせている。彼は逃げるしかなかったといえよう。
彼の人生において第一の失敗を挙げるとするなら、間違いなくこの村を訪れたことだろう。そして、第二の失敗を挙げるなら、この後に彼が逃げ込んだ場所だろう。彼は常識人であったが故に、自分の首を絞めたのだ。
「交番に行こう。この村は危なすぎる!」
目の前にあるのは、ごく普通の電話ボックス。今時ではなかなか見なくなったが、この辺りではまだ使われているようで、電灯も灯っており、埃をかぶっている様子もなかった。公衆電話には、ご丁寧にその場の住所が書かれており、交番から警官を呼ぶには携帯電話よりも確実な手段だっただろう。
「もしもし、助けてください。この村、おかしいんです!」
110番通報をして、なんとか繋がった。電話の向こうでは中年男性のような声が聞こえる。
「落ち着いてください。今どちらに?」
北斗は電話機の下に書いてある住所を伝える。
「便竜通り21ー4です」
これで助かる。北斗はそう確信した。警官の今から向かいますという声を聞き、安心のあまり、受話器を置いてしまった。そこから漏れる小さな声に、彼は気づいていない。
「了解、射殺します」
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