黒田さん家のバカ息子

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慶長五年(1600)のこと。 九州中津城で留守を守っていた黒田官兵衛は、大いなる野望を抱いていた。 それは黒田家による九州統一である。 彼は方々に金をばらまき、浪人を集めて9000人の軍を組織。 九州で西軍に与する城を手当たり次第に攻撃し、黒田家の勢力圏を拡大した。 黒田家主力は関ヶ原に出張っていて不在にも関わらず、瞬く間に九州北部を席巻する。 九州はそのまま、黒田官兵衛の手に落ちるかと思われたのだが……。 ……関ヶ原で戦っている息子、黒田長政から書状が届いた。 NGMS『やったぜ親父!! 関ヶ原では俺が斡旋した小早川秀秋の裏切りのお陰で、一日でカタがついたぜ!! 石田三成は逃亡して行方不明になってるぜ!!』 この大勝利の報告に、官兵衛はと言うと……。 ……めっちゃ怒った。 官兵衛「……あんのバカ息子が、何してくれてんだァァァァァ!! 天下の大戦って言うのは、もっとゆるゆるとやるもんだろうが!! それをお前……もう九州にも家康の手が伸びて来て、手出し出来なくなっちまう!! せっかく金払って集めた浪人はどうすりゃ良いんだよチクショー!! 日本一のうつけの名を、一人でしょい込んでるのが長政だッ!!!!」 戦では勝ったのに、日本一のうつけ呼ばわりされた長政。 家臣(主に後藤又兵衛)にはバカにされ、親父にはけなされ、もう散々であったそうな。
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