23 「祟り」って

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23 「祟り」って

 佳代子の水死体が発見されたのは、朝の九時過ぎ。  二十四時間から三十六時間前に死んだとされた。つまり地鎮祭の前夜から直前までの間ということになる。  地鎮祭の前夜、佳代子に会った人はたくさんいる。当日の朝、見かけたものはいない。したがって、深夜から地鎮祭当日の早朝の間に死んだ、と推測されていた。誰かと揉みあった形跡は見られず、着衣にも不審な点はなし。  佳代子は泳げなかった。自殺ではないかとされた。  佳代子は自分の生い立ちを語らなかった。  二十四歳、独身。  生駒が久米から聞いていたのは、中学卒業後、大阪市内の飲食店などで働いていたが、数年前にここへ来たということだけだった。  生駒にとって佳代子の存在は、表面的には、いわば得意先のお手伝いさんというものだったが、この遠い村へ出向く小さな魅力になっていたことも否定できない。彼女の顔を見ることは楽しみのひとつだったのだ。  はじめて村を訪ねたときのことが印象に残っている。  佳代子は久米に指示されて、村の入口で生駒の到着を待っていた。  渓谷を渡る風が、橋の欄干にもたれて川面を見下ろしている佳代子の長い髪をなびかせていた。白いブラウスにブルージーンズが山の緑に映えて、旅行雑誌に出てくるような典型的なポートレイトのようだった。  また別の日は、雪が降った朝、訪れて来る久米や生駒のために、白い息を吐きながら石段に積もった雪を箒で掃いていた佳代子。  そんな姿は、陽に焼けた老人ばかりが目立つ閑村風景の中で、ひときわ輝いていた。  真っ白な美しい素足にサンダルを履き、わずかに茶色に染めた長い髪を風になびかせながら村の道を歩くとき、なんの変哲もないさびれた村が突然映画のロケ地になったかのように、キラキラしたものが立ち上る。そんな違和感を漂わせた。  村人たちはまぶしいものでも見るように、佳代子の立ち居振る舞いに好奇の視線を集めていたものだ。  そして、そんな視線の中で悠々としているさまは、彼女の芯の強さを物語っていた。  久米が屋敷を借りるようになる以前は、屋敷の主である千寿の世話をしていたという。  こんな田舎で、足腰のおぼつかなくなった老婆の世話をするには、優しさとか思いやり以上に、強い意思の力が必要だろう。しかしそれを表に出さず、あくまで自然に、淡々と老婆との日々を繰り返していたという。  屋敷の主が千寿から久米に代わっても、佳代子の暮らしはさほど変化はなかった。屋敷の守りをしながら町のスーパーマーケットでパートとして働き、買い物をして帰り、屋敷の掃除をし、久米の来訪を待つという繰り返し。  なんとなくふんわりとした暮らし。  村人たちがそうであったように、彼女の周りでも時間がゆっくりと流れているようだった。  久米や生駒が屋敷を訪れたときでも、彼女のそんなペースは変わることはなかった。のんびりしながら、でもいつのまにか用事は終えているというようなペース。  生駒はいつでも、佳代子の自然な笑顔や、声を出して笑うときの口元のかわいらしい変化を思い出すことができた。  そんな佳代子と、盛砂から出てきた黒猫のむごたらしい頭部は、どうしても結びつかないのだった。  警察の見立てでは。  千寿の老人ホームへの入所を自分のせいだと責めていたという。  そして久米による屋敷の借り上げとアトリエ新築計画。佳代子にとっては自分のなすべきことがなくなってしまった上に、身の置きどころがなくなってしまったと感じていたというのだ。  そこで久米に工事を断念させることを狙って、切り取った猫の首を地鎮祭の盛砂の中に隠しておくという仕掛けを施した上で、自らは死を選んだというのだ。  そんな説明が、どれほどの説得力を持つというのだろう。  佳代子が自殺したのだとすれば、もっと別の理由があるはずだった。  大方の村人はこんな風に考えていただろう。  千寿が老人ホームに入所することになった。  人が住まなくなった家はたちまち朽ちてしまう。  千寿は久米に屋敷を貸すことを認めたものの、心底信用していなかったのだろう。屋敷を守ってくれと佳代子に頼んだのかもしれない。佳代子はその頼みを断りきれなかったのかもしれない。  佳代子は管理人として屋敷に住みながら、久米の登場を待った。  やってきた久米は、そのまま佳代子の存在を受け入れ、頻繁に屋敷に泊まりに来るようになった。  それどころか久米の知人たちも押しかけてくる。行楽がてらのボランティアたちだ。彼らは千寿の残していったものを徹底的に片付け、久米が画家としての暮らしを営めるようにスペースを確保していった。  そんな状況の中、佳代子が潮時を測りかねている間に、久米の留守宅の管理人の立場に移行してしまったのだ。佳代子は久米に雇われることになった。  やがて久米がアトリエを建てると言い出し、またたくまに地鎮祭の予定が決められたのだった。  生駒は思う。  久米が村に出入りすることも、久米の知人連中が村の中を闊歩することも快く思っていない村人は、アトリエの新築工事の着工にますます怒りをエスカレートさせた。  そしてその怒りの矛先は佳代子にも向けられたのだろう。  久米や生駒と同じように、佳代子も村人からよそ者という目で見られていたのは間違いない。村人全員がそうではなかったとしても、幾人かの村人は彼女に冷たく接していたに違いない。  もともと佳代子は、久米と組んでいたのではないか、千寿を老人ホームへ追いやり、久米が我が物顔で村を歩き回れるように仕組んだのではないか、とまで言う村人もいたかもしれない。  そうして心無い村人は猫の首を仕込み、いたたまれなくなった佳代子は死を選ぶ……。  そう考えたりもした。  警察は、著名な画家である久米や村人の気持ちをあえて逆なでするような発表をしなかったということなのだ。  佳代子ひとりに原因を押し付けておけば、万事が丸く収まると。  他殺という線も含めて一応の捜査はされたが、結局は自殺という安易な解決に向かったのだった。  あんなおぞましいことを自分のしたことだと決めつけられて、佳代子は暗く冷たい土の中で、色褪せてしまった唇をかみ締めているに違いない……。  しばらくして、久米は工事の中止を正式に決めた。  ただ、周囲の予想に反し、村に通うことをやめようとはしなかった。  納屋を改造してアトリエにするという腹案があるという。  今度は管理人は置かず、身の回りの手伝いは仙吉に頼むことにしたという。  生粋の村人を引き入れることによって、村人との緩衝材にもなるだろうというのだった。  仙吉に対して、久米は常に感謝の言葉を口にした。  生駒には、その口ぶりが上の立場のものが下のものにかけるねぎらいの言葉のように感じられたが、仙吉に不満はないようで、あれこれと久米に使われているのだった。  仙吉にも、屋敷を守れという千寿の意向が働いているのかもしれなかった。 「後追い自殺、かなっ?」  優は眉を指先でちょこちょこといじっていた。 「……」 「可能性やん」 「まあ、絶対ないとはいえないな」 「同じ川で。入水自殺ってやつ」  優はそんな軽薄な思い付きを口にしつつも、まったく同意できないという顔をしている。 「事故って線は?」 「……」 「そういや、健治さんの家、どこなん?」 「村の真ん中。さっき美千代さんが出てきたあたり」 「じゃ、どこで川に落ちたか」 「考えられるのは屋敷のすぐ近くだけかな」  屋敷からしばらくは川沿いの道で、ガードレールもない。 「誤って転げ落ちたらイチコロかも」 「そんなに酔ってたかな」 「家に帰ったとしたら朝のことやろ」 「なんで?」 「なんとなく。布団が敷きっぱなしやったし」 「そかー。ということは、事故の可能性はほとんどなしと。じゃ、殺された? 佳代子さんの方はどうなん?」 「事故も自殺も、どっちも納得できない、というところやろうな」 「じゃ、祟り」 「あのなあ」 「さっきも、あのおばあさん」 「そうか。やっぱり」  空耳ではなかった。  優が生駒の顔を覗き込んだ。 「可能性としては、あるんとちがう? どう思う?」 「ないやろ」  祟りというからには、霊的存在によるなんらかの意図があるということだ。  この世には人の目には見えない存在があるという。信じてはいないまでも、頭から否定することもできない。  平行世界というようなものではない。人の目には見えない存在のことだ。神と呼ばれるもの、霊と呼ばれるもの、中には仏と呼ばれるものもある。  それらと同列ではないのだろうが、八百万の神と呼ばれる一群もある。また、魑魅魍魎といった悪意のある霊、妖怪の群は無数にありそうだし、言霊というものさえあるかもしれない。  精神世界を見通す力を持つ人には、いわゆる実体としての肉体のない、それらの存在を感じ取ることができるのかもしれない。  ただ凡人には、それらがなんらかの物的な仮の肉体あるいは拠りしろ、または偶像を得て、目に見える存在となる。この村にもそういったものがある。注連縄を巻かれた獅子岩と呼ばれる巨岩や祠や権現さんの石像など。他にもたくさんあるだろう。  奈津は何々の祟りだとは言っていない。  ただ、何らかの霊的存在が復讐しようとしている、あるいは懲らしめようという意図を持っている、そう伝えようとしているのだろう。 「祟りかぁ……」  優が、推理をしようとしているのか、単に噂話をしているだけなのか、判然としない調子で同じ言葉を繰り返した。 「祟りねぇ……」
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