【賊】

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  「お前も男だろう。大望を抱け」  急に、男の声が聞こえた。  日雇いの仕事から開放され、お気に入りの場所で、ウトウトとしていた馬騰の耳に、落ち着いた声がかかり、 「今しかないぞ。この時を逃すな」  と言う。熱の籠った言葉だ。  素直に惹かれた。思えば確かに、今ほど名を揚げるのに相応しいといえるときは無い。  ときは光和二年。己未。 「乱世か……」  世は、荒廃している。朝廷は腐敗し、宦官が国を牛耳っている。帝は、ただの人形に成り果てている。飾りでしかない。  座っていた石造りの狼煙台から、下を覗き見てみる。  眼下には、石の街がある。漢人が多いが、中には羌族もいる。異民族だ。馬騰は羌族と漢人の混血である。子供の戯れる声が響き、者を売り買いする者たちの声で活気のある街。  平和、と言えるかもしれない。だが、 「後に、混乱は必ず来る」  と思った。自信がある。確信にも近い。  馬騰は、普段は木を切り、偶に羌族から仕入れた馬を売って生計を立てている。他にも日雇いの仕事をしているが、今は兵士だった。  空を見る。  夏の終わりが近づいた、夕暮れ時である。落ち始めた陽が、鮮々と、涼州の平原を染めるのを見た。  およそ四百年にわたり、国を治めてきた漢という王朝の終わりを、その夕日に感じた。  虚しさと、高揚感が身体を刺激する。空虚な心と滾る体が混ざり合っているようだった。 「あっ」  紫紺に染まりだした彼方に、赤い玉がいくつも浮かんだ。欄干に寄りかかり、身を乗り出して、目を凝らした。  人である。群れている。 「賊だろうか」  振り返っても、狼煙は上がっていない。警鐘も鳴っていない。ただ、街の其処此処で篝火が燃えているだけだ。  誰も気付いていないようだ。  さらに目を凝らして見ると、三十人ほどの集団だった。夕日を背負っているために、影にしか見えないが、どうしてかその頭に巻かれた黄色い布だけは、はっきりと見ることができた。  馬には乗っていない。全員が徒歩だ。
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