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――どさり。
無音の空間に音が落ちた。それは柔らかな肉質を持つ〝何か〟が落ちた音。
地震が起きた後のように荒れた部屋だった。フローリングの床に散乱する、転けた観葉植物の土や割れた皿の破片。横倒しになった食器棚や椅子。ニュアンス的には汚いというより荒れていると言った方が近い、そんな部屋。
そこに――少年が一人立っていた。
口元に絆創膏を貼った、高校生ぐらいの少年だ。彼の膝はなぜか小刻みに震えていて、かつその表情も複数の感情が入り混じったかのようななんとも表現し難いものだった。泣いているのか、笑っているのかさえ区別がつかない。
「あ……あ、ぁ……」
嗚咽にも似た声に続いて、少年の手元から物が落下する。それは、床にぶつかると同時に乾いた金属音を鳴らした。
その正体は紅い黒い液が付着した、銀色のナイフだ。
「お、俺が……」
少年の目先に広がるのは、紅い海とそこで眠る一人の熟年女性。その紅の源流は、目を開けたまま横たわる女性の左胸、人体構造上の丁度心臓がある位置からである。女性が着用しているベージュ色のカーディガンにも色が染み込んでいる。
血。漂う錆びた鉄の香り。
少年の体の震動が着々と大きなものへと変わる。
「あ、あ……俺が……俺が……!」
両の掌を、少年は飛び出しそうなほどに見開いた目で見つめる。瞳孔が不安定に揺らぐ。その掌にさえも、血はべっとりとこびり付いていた。
それは、罪を犯した者の、罪深き手。
少年は己の犯した行為を受け止めきれず、顔を歪める。
「俺が、殺した……っ……!」
――その日、霜辺蟻也(しもべ・ありや)はその手で母親を、殺した。
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