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頭の中では危険を知らせる警鐘が鳴り響き、早鐘の如く鼓動を刻みだす心臓。
――どうする?
――どうすればこの場を凌げる?
――何か手はないのか?
――俺は一体どうすればいい?
頭に浮かぶのはそんな何の役にも立たない空回りの疑問ばかりでそのくせそれに対する回答は一向に浮かんで来やしない。自問の間に包囲網は狭まり、霧の彼方から徐々に現れる黒色の絶望が景色を埋め尽くしていく。
「ァウ、ァアァルァァ……」
そして眼前の一体が嘲笑するかの様に口端を吊り上げ、ちらりと覗いた牙には猛獣を思わせる凶悪さが。
例え夢の中であったとしてもそれを前にして対抗する武器を持たない人間が抱く感情は圧倒的な恐怖。ただそれだけ。
(クソ、本当に何もないのか!?このままじゃ……)
空転を続ける思考は迫る危機にだんだんと真っ白に染まっていく。
最早考えは意思にすらならず、意識は目の前だけを捉えそれ以外を排除していた。
獲物を追い詰めた肉食獣が如くゆっくりと近づいてくる異形に気圧され磨り減る精神。
脳からの指示が殆ど及ばなくなった肉体は勝手に後ずさり、ちょっとした段差にバランスを崩して転倒してしまう。
(このまま喰われちまうのか……俺……?こんなワケの分からない相手に襲われて?)
「――――」
(こんな……こんなところで俺は死にたくねぇ!)
思考の殻が砕け、曝け出された生存本能が『死にたくない』と言う思いを情けないくらいに叫び上げ身体へと訴えかける。しかし当の肉体はがたがた震えるだけで指一本動かない。
そんな俺を嘲笑う様に捕食者は先程までの俊敏さの欠片もない、緩慢な動作で接近。
やがて彼我の距離はゼロとなり、化け物は並ぶ牙の下に隠れていた奈落の如き口腔を見せ付ける様に大きく開いた。
(俺は……、俺は……!)
覆い被さり視界を飲み込む黒。顔にかかる生暖かくじっとりと湿った獣の息。
それに俺は目を瞑り、一瞬速度を増した気配に己の最後を連想する意識が拳を握った。
「―――――――!!!」
「っ――、ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぁっ!」
響く歓喜の獣声に精神は己の不甲斐なさと理不尽に訪れた終幕へ最後の叫びを放つ。
その長く尾を引いた声が灰色の世界に呑まれ、
瞬間、風が乱れた。
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