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「……そろそろ行くわ。この後も午後イチでバイト入ってさ。ちょっと時間開くかもしれないけど、また来るからそこは許してくれ」
線香をあげて暫し合掌していた少年は苦笑を見せ、式の中で渡された花束を石段の上に置く。
屈み、低くなった視線の先にあるのは一つの墓石。
端々に苔の生した、粗削りな墓標に刻まれた家名はあの少女の苗字と同じもの。
側面に刻まれた四人分の名前はこの場所に彼女とその家族全てが眠る事を示していた。
――あの日を境に失われた、すぐ近くにあった陽だまりの様な温かさ。
血の海で見た無残な彼女の最後は今も少年の脳裏に深く刻まれている。
幼いながらも繋ぐ手に誓った約束を果たせなかった深い罪悪感と共に。
しかし現実は残酷で。未だ大切な者を失った悲しみを拭いきれない彼へ更なる牙を剥いていた。
「じゃあな。あ……それと、もしお袋がそっちに行くようなことが有れば迷わず叩き返してくれ。まだこっちに来るには早いってな」
止まらない負の記憶連鎖に無理矢理の苦笑を保つ少年はそう言い残し墓石から背を向けた。
震える足がゆっくりと石段を降り、歩みは途中で砂利を蹴り上げる走りになる。
時間ではなく過去に追われた背は遠ざかってそのまま一度たりとも墓標を振り返る事はない。
けれど向き合う事に耐え兼ねて悲劇の象徴から逃げ出そうとも過去は彼を逃がしはしない。
――そしてあの日から離れられず、今まで幾度も目を背け続けた現実と本当の意味で向き合うべき日が近づいている事を。この時少年はまだ知らなかった。
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