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その小説家は少女を目にしてペンをゆっくりと片づけた。
「おや、君が来るなんて珍しいこともあるものだな」
平静な口振りで小説家は少女に向かって発した。
勢いよく扉を叩きあけて部屋に入ってきた少女は息が上がって返答に出遅れた様子。
しばらくし、深呼吸で後の呼吸を整えると少女はまだ若いブルネットのその小説家を怒鳴りつける。
「珍しい!?よくもそんな事がいえたものね!こんな文章を書いておきながら!」
ショルダーバッグから一冊の本を取り出すと小説家の前へ叩きつける。
「お買いあげありがとう…だね」
上等な微笑みで自分の本を手に取る。
「しらばっくれる気なの?」
「しらばっくれるって…俺には何のことかさっぱりです」
少女は小説家の手から本を取り上げてとあるページを開いて見せた。
「彼はその絵描きの少女に近づくと…」
曖昧な表現でその“彼”が“絵描きの少女”に恋愛感情を描写してあった。
「この“絵描きの少女”!」
「あぁ、それは君だね」
小説家はあっさり本音を吐く。
悪びれた様子は全くない小説家は少女に目をやった。
「こうやって書いて出せば売れ行きも良くなるかと思ってね、それに」
おもむろに彼は立ち上がる。
「こうやって君が怒って来ると思ったんだ」
立ち上がって初めて分かる彼の高身長。
「こうでもしないと君は俺に会ってくれないからね」
苦笑いを浮かべて小説家は少女の肩を抱いた。
しかし少女はその腕を払いのける。
「ツェザーリ、貴方ねぇ」
「状況はよく把握していますよ、お嬢様」
「やめて、まだ違うもの」
「アリシア、養子に行けばお前の好きな絵は描けなくなるぞ?」
ツェザーリは続ける。
「それに、もう結婚相手も決まっているしな」
ため息を吐きながら彼は椅子に腰を下ろした。
「それも覚悟の上で行くのよ、私がこうでもしないとあの院は潰れちゃうから」
煉瓦畳みの華やかな表通りにある異質な路地の一つを抜けてその突き当たりにあるのが孤児院“ハイム=アンゼリ”。
現在有名な若き小説家、ツェザーリ・ノームアと見習い絵描きアリシア・バルソースはこのハイム=アンゼリで育った幼なじみ。
ツェザーリはしばらく前に院を出て一人暮らしをしている。小説を書いて少ないながら貯まったお金は随時院に送り、自分もそれなりの暮らしをしている。
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